抛りこんだだが、その魔性の着物は燃えもしねえだ!……※[#始め二重括弧、1−2−54]ええ、こりや飛んでもねえ悪魔のお土産だ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]つてんでな、女商人はいろいろと思案にくれた挙句、バタを売りに来てゐた或る百姓の荷馬車へそれをこつそり押しこんだだよ。頓馬な百姓め、ほくほくもので悦に入りをつただが、売りもののバタはからつきし、値踏みひとつする者もねえ始末さ。※[#始め二重括弧、1−2−54]ええ、忌々しい、この長上衣《スヰートカ》は悪魔の手からわたつたものに違えねえ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言ひざま、斧を取つて、それをばズタズタに截りきざんでしまつただよ。ところがどうだ、その一切れ一切れが寄りあつまつて、またぞろもとのやうに、ちやんとした長上衣《スヰートカ》になるでねえか! そこで今度は十字を切つて、もう一度それを斧で断ちきつて、その切れつぱしを、どこここなしに撒きちらしておいて行つてしまつただよ。その時からこつち、毎年、定期市《ヤールマルカ》の時分になるてえと、きまつて豚の仮面《めん》をかぶつた悪魔めが、広場々々をほつつきまはつて、鼻を鳴らしながら、自分の長上衣《スヰートカ》の切れつぱしを拾ひあつめて歩くつてえだ。なんでも、今ぢやあ、もう左の袖口だけが目つからねえばつかりだつてえこんだ。それからこつち、誰ひとり怖気をふるつて近寄らねえもんで、ここに定期市《ヤールマルカ》が立たねえやうになつてから、かれこれもう十年にもなるべえ。だのに、その悪魔めが、今度はあの委員の野郎を抱きこみやあがつて……」
かう言ひかけた言葉の半ばが語り手の唇のうへで消えてしまつた――窓が騒々しく打ち叩かれて、硝子が唸りを立ててけし飛んだ。そして物凄い醜面《しこづら》が、そこからにゆつとばかりに中を覗きこんで、まるで※[#始め二重括弧、1−2−54]皆の衆、いつたいここで何をしてゐなさるだね?※[#終わり二重括弧、1−2−55]とでも訊ねるやうに、じろじろと眺めまはした。
八
[#ここから13字下げ、28字詰め]
……犬のやうに尻尾を巻き、カインのやうにわななきながら、鼻の孔から鼻水《みづ》をたらした。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から5字上げ]――コトゥリャレフスキイ『エニェイーダ』より――
家のなかにゐた者はみんな恐怖に打たれてしまつた。教父《クーム》は口をぽかんとあけたまま、まるで化石したやうにからだを硬ばらせてしまつた。両の眼は今にも飛び出しさうなくらゐ、かつと見開かれ、指をひろげた両手は宙に浮いたままビクとも動かなかつた。例の長身《のつぽ》の勇士が、驚愕のあまり天井へ跳ねあがつて、横梁《よこぎ》を頭で小突き上げたため、棚板が外れて、ガラガラつと物凄い音を立てざま、祭司の息子が地面《した》へ転げ落ちてきた。
「ひやあつ!」と絶望的にわめいて一人の男は、怖ろしさのあまり腰掛の上へ打つ伏しになつて、両手と両足でそれにしがみついた。
「助けてくれえつ!」さう喚いて他の一人は、頭から外套をひつかぶつた。
再度の驚愕でやうやく我れに返つた教父は、わなわなと顫へながら女房の裾のしたへ潜《もぐ》りこんだ。長身《のつぽ》の勇士は狭い焚口から無理やりに煖炉《ペチカ》のなかへ這ひこむなり、自分で焚口の扉を閉めてしまつた。チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークはといふと、まるで熱湯でもぶつかけられたもののやうに、帽子の代りに甕を頭にかぶつて、戸口へ駈け出すなり、狂人《きちがひ》のやうに、ろくろく足もとも見ずに往来をひた走りに走つたが、やうやく疲労のために駈ける足の速力がゆるんで来た。彼の心臓はまるで磨粉場《こなひきば》の臼のやうに激しくうち、汗が玉をなして流れた。疲れはてて、今にも地面へぶつ倒れさうになつた時、ふと彼の耳に、誰か後ろから追つてくるらしい跫音が聞えた……。彼の息の根はとまつてしまつた……。
「悪魔だ! 悪魔だ!」と、彼は気を失ひながらも精いつぱいに叫んだが、一瞬の後には、知覚を失つて地上へぶつ倒れてしまつた。
「悪魔だ! 悪魔だ!」さういふ声が彼の後ろの方でも聞えた。そして彼は何ものかがけたたましく自分に襲ひかかつたやうにだけは感じたが、ここで彼の記憶の糸はとぎれて、窮屈な棺桶のなかの不気味な佳人のやうにおし黙り、そのままビクとも動かずに路の真中にのびてしまつた。
九
[#ここから15字下げ]
前から見ればともかくも、
後ろ姿は、あれ、鬼だ!
[#ここから22字下げ]
――民話の中より――
[#ここで字下げ終わり]
「なあ、ウラース!」と、往来に寝てゐた連中の一人が、真夜なかに頭をもちあげて言つた。「おいらの近くで誰だか、悪魔だあつて叫んだでねえか!」
「お
前へ
次へ
全18ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング