ぎ》の輪麺麭《ブーブリキ》と腸詰の用意をして来たので、かうした宿屋で決してきらしたことのない火酒《ウォツカ》を一杯だけ注文すると、たたきの床へ脚をしつかり埋め込んだ樫の食卓に向つてベンチに腰をおろして、夕餉をしたためにかかつた。
 さうかうしてゐるところへ、馬車の轍の音がしたけれど、その馬車は長いこと内庭へ入つて来なかつた。甲高い声が、この居酒屋をやつてゐる老婆と罵りあつてゐた。『ぢやあ馬車を入れるけれど、』さういふ声がイワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの耳に入つた。『その代り、お前んとこで、ただの一匹でも南京虫が俺を刺したが最後、擲りつけて呉れるぞ、誓つて擲りつけて呉れるぞ、このおいぼれ魔法使女《まほふづかひ》め! そして乾草の代は錏一文だつて払ふこつちやないぞ!』
 一分ばかりの後、入口の戸があいて、紺のフロックコートを著こんだ、恐ろしくふとつた男が入つて来た、といふよりは這ひずり込んだと言つた方がよいかもしれない。彼の頭は短かい猪頸の上に泰然自若として鎮座してゐたが、そのまた頸が、彼の二重頤のために一層ふとく思はれた。この男は一見して、些々たることには決
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