……。妻なんて、いつたいどうするものだか、まるきり知らないんです!」
「ぢきお分りだよ、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ、お分りだとも。」と、叔母さんは笑ひながら言つた。そして心の内で、※[#始め二重括弧、1−2−54]しやうのない! まるでねんねえで、何にも知りやあしないのだよ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と呟やいた。それから声に出して彼女はつづけた。「でね、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ! お前さんには、あのマリヤ・グリゴーリエヴナがほんとに似合ひだよ、あれ以上の嫁を探さうたつて、見つかるこつちやありません。それにお前さんにはあの娘《こ》が大変に気に入つておいでだし。妾はもうそのことで、いろいろあのお婆さんと談し合つたんだよ。あのお婆さんも、お前さんを娘の婿にすることを、ひどく嬉しがつてるのだよ。しかし、あのグリゴーリイ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチが何と言ふか、それは分らないけれど、あの人のことは考へないことにしよう。ただ万一にも持参金を呉れないやうだつたら、その時こそ訴訟を起して彼奴《あいつ》を……。」
ちやうどその時、馬車は邸に近づき、年老いた痩馬は、己が厩の間近くなつたことを感づいて、急に活気づいた。
「いいかえ、オメーリコ! 馬には先づ、よく息を入れさせるんだよ。軛をはづして直ぐに水を飲ましちやいけないよ、癇が立つてをるから。それでさ、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ」と、馬車を降りながら言葉をつづけた。「妾はお前さんに、ようく、このことを考へておいて貰ひ度いのですよ。妾はまだちよつと台所を覗いて来なきやなりません。ソローハに夕食を言ひつけることを忘れてゐたが、あのぼんやりが独りで気を利かせるやうなことは、ほつても無いからね。」
しかし、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチはまるで雷にでも撃たれたやうに立ち竦んでしまつた。なるほどマリヤ・グリゴーリエヴナは大変いい娘だ、しかし結婚!……それは彼には実に奇妙なことに思はれて、考へただけでもぞつとした。妻との同棲! さつぱり分らない! 自分の部屋に独りで落つくといふことも出来ず、年がら年ぢゆう、妻と鼻を突き合はせてゐなければならないなんて!……彼は考へれば考へるほど、その顔に、脂汗がにじみ出して来るのであつた。
いつもより早目に彼は寝床へ入つたが、どんなに眠らうとしても、寐つくことが出来なかつた。しかし、やがてのことに、待ちに待つた、あの万人に共通な慰藉である睡魔が彼を訪れた。だが何といふ奇妙な夢を見たことだらう! 彼は未だかつてこれほど辻褄の合はぬ夢を見たことがなかつた。見ると、ぐるりがガヤガヤとざはめき、グルグル※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてをり、彼自身は力かぎり根かぎり一散に駈けてゐるのだ……。ところが、もうどうにも根がつづかなくなつてしまふ。と、突然、誰かが彼の耳をつかまへる。※[#始め二重括弧、1−2−54]おい、誰だ?※[#終わり二重括弧、1−2−55]――※[#始め二重括弧、1−2−54]あたしよ、あなたの妻よ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]さういふ声がざはめきの中から彼に答へた。そして不意に彼は夢から覚めた。と、今度はもう彼は妻帯してゐるのだが、彼等の家の中は実に奇妙なのだ。彼の部屋には一人用の寝台ではなく二人用の寝台があつて、椅子には妻がかけてゐる。彼には実に変てこで、どうして妻の傍へ行つたものか、何といつて彼女に話しかけたものか、さつぱり分らない。よく見ると、妻の顔が鵞鳥の顔をしてゐる。傍らを見ると、もう一人の妻がゐて、やつぱり鵞鳥の顔をしてゐる。また反対側を見ると、そこにも妻が立つてゐる。うしろを向くと、そこにも妻が一人ゐる。そこで彼はすつかりおびえあがつてしまひ、一目散に庭へ駈け出した。ところが、庭は蒸暑いので帽子を脱ぐと、帽子の中にも妻が一人坐つてゐる。汗がタラタラと顔を流れる。ハンカチを取り出さうとしてポケットへ手を突つ込むと、そのポケットの中にも妻がゐる。耳に詰めてあつた綿を取ると、そこにも妻が坐つてゐる……。そこで不意に、彼は片足でピョンとはねあがつた。すると、叔母さんが彼を見ながら、真面目くさつた顔つきで、※[#始め二重括弧、1−2−54]さうさう、はねあがらなきや駄目だよ。今ぢや、お前さんはもう女房持ちだから。※[#終わり二重括弧、1−2−55]といふ。彼が傍へ近寄つて見ると、叔母さんだと思つたのが、もう叔母さんではなく、鐘楼になつてゐる。そして気がつくと、誰かが彼を綱でその鐘楼へ釣りあげようとしてゐる。※[#始め二重括弧、1−2−54]誰だ、俺を釣りあげようとし
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