たげて、一と目みれば、梨入りの濁麦酒《クワス》はどうして造るべきか、甜瓜がどの位に大きいか、庭を駈けまはる鵞鳥がどんなにふとつてゐるかが、直ちに読み取られるやうな顔つきをして見せた。
 もう日暮になつてから、やつと、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチは暇を告げることが出来た。もちまへのおとなしさにも似ず、泊つて行けと言つて、たつて引き止められたにも拘らず、彼は帰らうといふ初一念を貫いて、つひに帰途についたのであつた。

    五 叔母の新らしい計画

「さあ、どうだつたえ? あの老悪党《ふるだぬき》の手から、首尾よく証文を引き出すことが出来たかえ?」と、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの顔を見ると同時に、叔母さんはいきなりかう訊ねた。彼女は辛抱がしきれずに、もう幾時間も前から玄関へ出て甥の帰りを待ちあぐねてゐたが、たうとう我慢がならなくなつて、門前まで飛び出してきてゐたのだ。
「いいえ、それがねえ、叔母さん、」と、馬車を降りながらイワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチは答へた。「グリゴーリイ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの手許には、そんな証文は無いのださうですよ!」
「それをお前さんは真に受けて来たのかえ? 嘘を吐いてるんだよ。あの碌でなしめ! いつか今度出会つたら、ほんとに、この手でひつぱたいて呉れるのに、ううん、屹度あいつの脂肪《あぶら》を絞つてやるよ! しかし、それより裁判にかけてでも取り戻せるものかどうか、ひとつ裁判所の書記に訊ねて見なくつちやあ……。だが、それは又その時のことだが、どうだつたえ、午餐《おひる》には御馳走があつたかえ?」
「素晴らしく……いや大したものでしたよ、叔母さん!」
「へえ、それでどんな料理が出たといふのだえ? 一つ話しておくれ、何でもあすこのお婆さんと来ては、台所の監督の名人だつてことだから。」
「酸乳皮《スメターナ》入りの酸乳煎餅《スヰールニキ》が出ましたよ、叔母さん。それから詰め物をした鳩をソースに浸けたのだの……。」
「梅を詰めた七面鳥は出なかつたかえ?」と、その料理にかけては自分が非常な名人であつただけに、叔母さんはさういつて訊ねたものだ。
「七面鳥も出ました!……それよりも、たいへん美しいお嬢さんがゐましたよ――グリゴーリイ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの妹さんたちですが、中でも金髪の娘さんがきれいでした!」
「おや、おや!」さういつて叔母さんは、イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの顔をまじまじと見まもつた。イワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチはまつ赤になつて眼を伏せた。新らしい考へが忽ち叔母さんの頭に閃めいた。「さあ、それでどうしたといふのだえ?」と、彼女は好奇心に駆られながら、まくし立てるやうに訊ねた。「いつたい、その娘の眉はどんなだつたえ?」この叔母さんが女の美しさを口にする時には、いつも先づ眉のよしあしを第一にいふのが常であつたことを申し添へておく必要がある。
「その眉がですよ、叔母さん、あなたが常々お話になる、その、叔母さんのお若い頃の眉にそつくりなんですよ。そして顔ぢゆうに細かい雀斑《そばかす》があるんです。」
「おや、さうかえ!」と、別段お世辞にいつた心算《つもり》でもなかつたイワン・フョードロ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの、その註釈に満足して叔母さんが語をついだ。「それで、着物はどんなのを著てゐたえ? それあね、何といつたつて今時この妾の部屋着《カポート》のやうな丈夫な布《きれ》は、なかなか見つけようたつて見つかるものぢやないけれどさ。それは兎も角、お前さんはその娘に、その、何か、お話をおしだつたかえ?」
「と仰つしやるとつまり、何ですか……僕がその、ねえ叔母さん? その、ひよつと叔母さんは、もうそんな風に……。」
「何がどうしたとお言ひなんだえ? 別に不思議なことがあるものか? それが神様のお思召なのさ! 若しかしたらお前さんとその娘とは、前《さき》の世から一緒になるやうに定まつてゐたのかもしれないよ。」
「何だつて叔母さんはそんな風に仰つしやるのか、とんと僕には分りませんよ。それが、この僕といふものをちつとも御存じない証拠ですよ……。」
「そうら、もう腹を立ててるんだよ!」と、叔母さんは言つた。※[#始め二重括弧、1−2−54]ほんとにまだ、からつきしのねんねえだ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、彼女は心の中で呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]何にも知らないんだよ! これは一つ、両人《ふたり》をいつしよにしてやらなきやならん。先づ第一に馴染みにしてやらなく
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