[#終わり二重括弧、1−2−55]ダニーロは少し首をすくめて、ぴつたりと幹に躯《からだ》をすり寄せた。
 しかし舅には、窓の外から人が覗いてゐようなどと心を配る余裕はなかつた。彼は陰気な、不機嫌さうな顔をして、いきなりその卓子から卓布を剥ぎ取つた――と、急に、音もなく部屋ぢゆうに透明な空いろの光りが漲《みなぎ》りわたつた。そして蒼ざめた前の金いろの光りはそれと融《と》けあはずに、ゆらゆらと、さながら青い海底へ沈むようにたゆたひながら、あたかも大理石の波紋のやうな層を形づくつた。そこで彼は卓子の上に一つの壺を置いて、その中へ何か、草のやうなものを投げ込んだ。
 ダニーロはじつとそれを見まもつたが、気がつくと、その男はもう、赤いジュパーンを著てゐるのではなく、そのかはりに土耳古人が穿いてゐるやうなだぶだぶの寛袴《シャロワールイ》を穿き、帯には拳銃を吊り、頭には一種異様な、一面に露西亜文字とも波蘭文字ともつかぬ文字で書き埋めた帽子を冠つてゐた。じつと顔を見つめてゐると、その顔の容子が変りだした。鼻がによきによきと伸びて口の上へ垂れ下り、口は見る見る耳の根もとまで裂け、牙が一本にゆつと露はれて
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