も勿体らしい表情が浮かんだ。「わしたちはな、同胞《きやうだい》、その、陛下に自分たちのことでいろいろ奏上せねばならんのぢやから。」
「お供をさせて下さいよ!」と、鍛冶屋は言ひ張つた。そして拳で衣嚢《かくし》を叩きながら、そつと悪魔に囁やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]承知させて呉れ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 彼がさう言ふか言はないに、もう一人の方のザポロージェ人が、「まあ、いいから伴れて行つてやらうではないか、同胞《きやうだい》!」と、とりなした。
「さうよ、伴れて行かうよ!」と、他の一同も声を揃へて言つた。
「ぢやあ、わしたちとおんなじ衣裳をつけるがよい。」
 鍛冶屋が大急ぎで草いろの長上衣《ジュパーン》を身につけた時、不意に扉があいて、金モールをつけた迎への役人が入つて来て、参内の時刻だと告げた。
 大きな箱馬車に乗つて、弾機《ばね》に揺られながら出かけると、またしても鍛冶屋の眼にはあらゆる珍らしい光景が映りだした。両側の四階だての家並がずんずん、後へ後へと駈け去り、鋪石道《しきいしみち》はがらがらと轟ろきながら、ひとりでに馬の足もとへ、前方から驀進して来るやうに思はれた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]ひやあ、どうもはや、これは何といふ燈火《あかり》だらう!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、鍛冶屋は心ひそかに呟やいたものだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]村ぢやあ昼間だつて、かうは明るくないのに。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 馬車は宮殿の前で停つた。ザポロージェ人たちは車を降りて、壮麗な御車寄へ歩を進め、まぶしいほど光り輝やいてゐる階段を登つて行つた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]何といふ素敵もない階段だらう!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と鍛冶屋は胸の中で呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]足で踏むのは勿体ない。実にどうも、この装飾《かざり》はどうだ! よく話半分といふけれど、何が半分どころか! これはどうだい! 何といふ素晴らしい欄干だらう! この細工はどうだ! この鉄材だけでも、五十|留《ルーブリ》がものは要《い》つとるぞ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 階段を登りきつたザポロージェ人たちは、第一の大広間を横切つた。鍛冶屋は嵌木床《パルケット》のうへで辷りはせぬかと一歩々々に心を配りながら、びくびくして一同の後に従つた。さういふ大広間を三つも横切つたが、鍛冶屋は相も変らず仰天しつづけてゐた。四つ目の大広間へ入ると彼は、そこの壁に懸つてゐた額面へ、我を忘れて近寄つた。それは童児基督を抱いた聖母の像であつた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]何といふ絵だらう! 実に素晴らしい画像だ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、彼は心の中で感歎した。※[#始め二重括弧、1−2−54]今にもほんとに物を言ひさうだ! まるで生きてゐるやうだよ! それにこの神の御子はどうだい! 手を抑へて、にこにこしてるよ、いぢらしい! だが、この顔料《ゑのぐ》はどうだ! ほんとにおつ魂消るやうな顔料《ゑのぐ》だ! 茲にやあ泥絵具なんてこれつぽちもつかつちやあない、これはみんな上等の羣青や朱だ。それにこの空色はどうだい、まるで燃えるやうぢやないか! 大したもんだ! 屹度、飛び切り極上の胡粉で下塗りがしてあるんだらうな。だが、この彩色にもおつ魂消るけれど、この銅《あか》の把手と来ちやあ、※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言ひながら彼は扉に近づいて、錠前に触つて見るのだつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]これはまた、もう一つ吃驚するて、実にどうも、きれいな細工つたらないよ。これあなんだな、みんな独逸の鍛冶屋が、費用かまはずにやつてのけた仕事に違ひない……。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 金モールをつけた従僕が彼の腕を小突いて、他の同行者たちに遅れないやうにと注意しなかつたら、恐らく鍛冶屋はもつともつと鑑賞に耽つてゐたことだらう。ザポロージェ人の一行は更に二つの大広間を通り過ぎてから立ちどまつた。そこで待つてゐるやうにといふ指図だつたのである。その大広間には、金ピカの刺繍《ぬひ》を施こした軍服を著た将軍が幾人も集まつてゐた。ザポロージェ人たちは四方八方へペコペコとお辞儀をした。そして一と塊りになつて立つてゐた。
 一瞬間の後、でつぷりと肥満《ふと》つた、背丈の堂々たる人物が、哥薩克大総帥の制服に黄色い長靴といふ扮装《いでたち》で、大勢の随員をしたがへて現はれた。彼の頭髪はもぢやもぢやに乱れ、片方の眼が少しやぶにらみで、いつたいにその顔つきには、どことなく驕慢不遜の色が現はれ、すべての動作《ものごし》に命令的な癖が見られた。それまでかなり横柄に振舞つてゐた、金ピカ
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