ばと起きざま、急いで後へまわって外套をぬがせた。
 少佐は自分の部屋へ入ると、ぐったり疲れた惨めな我が身を安楽椅子へ落としたが、やがてのことに二つ三つ溜息を吐いてからこう呟やいた。
【ああ、ああ! 何の因果でこんな災難にあうのだろう? 手がなくても、足がなくても、まだしもその方がましだ。だが、鼻のない人間なんて、えたいの知れぬ代物《しろもの》はない――鳥かと思えば鳥でもなし、人間かと思えば人間でもなし――そんな者は摘みあげて、ひと思いに窓から抛り出してしまうがいいんだ! これが戦争でとられたとか、決闘で斬られたとか、それとも何か俺自身が原因《もと》でこうなったのなら諦めもつくが、まるで何の理由《ことわり》もなしに消え失せてしまったのだ、ただ無くなってしまやがったのだ、一文にもならずに!……いや、どうもこんなことって、ある訳がない。】少し考えてから、彼はこうつけ足した。【どうも、鼻が無くなるなんて、おかしい、どう考えてもおかしい。これはきっと、夢をみているのか、それとも、ただ幻想を描いているだけに違いない。ひょっとしたら、顔を剃《あた》った後で鬚につけて拭くウォッカを、どうかして水と間違えて飲んだのかもしれないぞ。イワンの阿房《あほう》が取り片づけておかなかったため、ついうっかり飲んだのかも知れないて。】そこで、酔っ払っているかいないかを、実際に確かめようとして、少佐は力まかせに我と我が身をつねったが、あまりの痛さに、思わずあっと悲鳴をあげたほどであった。この痛さによって、彼が現実に生きて行動していることが確実に証明された。彼はこっそり鏡の前へ忍びよって、ひょっとしたら鼻はちゃんとあるべき場所《ところ》についているのかも知れないと思いながら、まず眼を細くして恐る恐るのぞいてみたが、その殺那《せつな》、思わず【なんちう醜面《つら》だ!】そう口走って後へ飛びのいた。
 これはまったく合点のゆかないことだった。たとえばボタンだとか、銀の匙だとか、時計だとかが紛失したのならともかく――無くなるものにも事をかいて、どうしてこんなものが無くなったのだろう? それも、おまけに自分の家《うち》でと来ている!……コワリョーフ少佐はいろいろの事情を総合した結果、この一件の原因《もと》をなしているのは、正しく彼に自分の娘を押しつけようとしている佐官夫人ポドトチナに違いないという仮定が、もっ
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