どうしてこれまで自分を九等官だなんて思つてゐられたものか了解に苦しむ。まつたくどうしてあんな狂人《きちがひ》じみた途轍もない空想が頭に浮んでゐたのだらう? まだ誰ひとり、おれを瘋癲病院へ入れようと思ひつかないうちで仕合せだつた。今や眼の前のことが何もかもはつきりした。今のおれには何でも掌《てのひら》へ載せたやうによく分る。ところが不思議なことにこれまでは眼の前のことがまるで霧にでもつつまれたやうに茫としてゐた。それといふのも人間が腦髓は頭の中にあるなどと考へてゐるからのことだが、飛んでもない勘違ひで、腦髓つてものは裏海の方角から風に乘つてやつて來るのさ。おれが先づ皮切りに、マヴラに自分の正體を打ち明けたところ、奴はそれを聞いて、このおれが西班牙の王樣だと分ると吃驚仰天して、怖れおののきながら、魂も身に添はぬ爲體《ていたらく》さ――なるほど愚昧な女のこととて、西班牙の王樣なんてまだ一度も見たことがないのだから無理もない譯だ。だが、おれは努めて奴の驚愕を鎭めて、これまでも長靴の掃除がともすれば不行屆であつたりはしたけれど、そんなことは決して咎めはせぬと言つて、どこまでもこちらの寛仁大度に信
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