あ!」
「なに、海千山千だと!……」さう言つて、年増の別嬪は喰つてかかつた。「この罰あたりめが! 顔でも洗つて出直して来やあがれ! しやうのない破落戸《ごろつき》野郎め! 汝《てめえ》のお袋を見たことはないが、どうせ碌でなしに違ひない。親爺も碌でなしなら、叔母も碌でなしにきまつてるだ! くそつ、海千山千なんて吐かしやあがつて!……何だい、まだ乳臭い二歳野郎の癖に……。」
 その時、荷馬車がちやうど橋を渡りきつてしまつたので、その言葉尻はもう聞き取れなかつたが、若者はそれなり鳧をつけてしまふのが業腹《ごふはら》だつたと見えて、よくも考へないで咄嗟に泥土をひと塊りつかみあげるなり、それを女房《かみさん》のうしろから投げつけた。それがまた思ひがけなく、うまく命中して、新らしい更紗の頭巾帽《アチーポック》がすつかり泥だらけになつたので、無茶な乱暴者たちの哄笑はまたひとしほ大きくなつた。肥つちよのめかしやは赫つといきりたつたが、しかし荷馬車はその時もうよほど遠く距たつてゐたので、女房《かみさん》はその腹癒に罪もない継娘や、のそのそ歩いてゐる亭主に当り散らした。だが亭主の方は、かうした悶著《もんち
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