めき、樫の幹が破け、稲妻が雲間に乱れて一時に全世界を照らす時、ドニェープルは世にも凄まじい光景を呈する! 丘のやうな波濤が轟々と鳴つて山裾にぶつかり、閃光と怒号につれて後へ返し、悲鳴とともに遠のき消える。それはちやうど、老いたる哥薩克の母親が、わが子を軍営に見送りつつ、悲嘆の涙に沈む様にも似てゐる。――放恣で大胆な若者は黒馬《あを》に跨がり、腰に手を当てて、横かぶりにした帽子も勇ましく、駒を進めるのであるが、母は泣き泣きその後を慕つて、息子の鐙を掴み、馬銜に捉まり、取り縋つて、熱い涙を降りそそぐ。
 吠え狂ふ怒濤の間に間に、突堤の上に焼け残つた木株や石が異様に黒ずんで見えてゐる。そして一艘の小舟がもやはうとして、上下に揺れながら、ゴツンゴツンと岸にぶつかつてゐる。このやうに、ドニェープルが狂ひ立つてゐるさなかに、独木舟などを浮かべて漕ぎ出した、向ふ見ずの哥薩克はいつたい誰だらう? てつきりそいつは、ドニェープルが蠅でも呑むやうに人間を鵜呑にすることを知らぬのだらう。
 やうやく小舟が繋がれると、その中から魔法使が立ち現はれた。彼は不機嫌さうな面持をしてゐる。彼は、哥薩克たちが、亡き主ダニーロのために挙げた弔ひ合戦を忌々しく思つてゐるのだ。波蘭人の蒙つた損害は甚しかつた。あらゆる馬具《ばぐ》武具《もののぐ》に身を固めた四十四人の貴族が、三十三人の奴僕と共に斬り刻まれ、残りは馬ぐるみ捕虜になつて、韃靼人に売り渡されるため、護送されて行つた。
 魔法使《コルドゥーン》は焼けた切株のあひだの石段を降りて行つた。そこには地中ふかく穿たれた彼の地窖《あなぐら》があつた。彼はそつと、扉の音も密びやかに中へ入ると、布を掛けた卓子の上へ、一つの壺を置き、長い手を延ばして、何かえたいの知れぬ草をその中へ投げ入れた。そして、不思議な木の椀を手に持ち、唇を震はせて何やら呪文を唱へながら、水を掬つては、そそぎかけた。と、部屋の内にはパッと薔薇いろの光りがさして、その時の魔法使の顔は見るも物凄かつた。顔ぢゆうが真赤に上気して、ただ深い皺だけが黒く、眼はまるで火のやうに爛々と光つてゐた。無信仰な罪人め! もう疾《とう》に鬚は霜に蔽はれ、顔は皺だらけで、すつかり痩せさらばうた身を持ちながら、なほも神意に背いた悪計を企らみをるのだ。と、部屋のなかほどに白い雲がたちそめて、彼の顔には一種悦びに似た或る
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