しなかった。
 西洋人は、上衣の下へ斜めに懸けた革のサックから双眼鏡をとり出して下界を眺めた。けれどもそれは単なる風光の見晴しが目的ではなく、正しく何か探し物をしているのであった。細長い指を苛立たしげに慄わせて、幾度となく焦点を更えては、何時迄も、何時迄も、大東京の市街の表に刻まれた一つ一つの物蔭を丹念に漁るつもりらしかった。
 私は、自分の娯しみを全く等閑《なおざり》にして、ひたすら西洋人の態度をぬすみみた。だが、そのツァイスの精巧なレンズの目標が、果してどの見当であるかさえ、皆目推量もつかなかった。
 ――一体全体どんな情景をこのブリキとカンナ屑の都から摘出しようとこころみているのかしら?……

 その翌日も、私は西洋人と一緒に風船へ乗った。西洋人は矢張り双眼鏡ばかり覗いた。
 そして更に、その翌日も全く同じ事が繰り返された。
 その次の日も。
 次の日も。
 …………

 4

 私の好奇心は加速度的に膨れ上って、遂にはこの西洋人は何処かの軍事探偵ではないかしらと云う容易ならぬ仮想迄発展して行った。こうなると最早や私一個の風船に対するあどけない興味なぞは心の隅に追い込められてしま
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