く傾いたので、西洋人もおどろいて振り返った。
 西洋人は無精髯を一っぱい生やしていたが、それでもツルゲエネフのような優しい顔であった。そして薄い茶色の眼は、ひょっとしたら愁しげな光を含んでいるように、私は感じた。
 ――おろしてくんねえかな!」と丸髷の女の人は泣き出しそうになって云った。
 ――駄目だよ。いごくから余計と揺れるんだ。ちっともおっかねえもんかね。」と中学生は狼狽《うろた》えて相手を叱った。だが、中学生もやっぱり、茫漠と涯しもない天空のただ中で、小さな籠一つへ身を托したことが、そぞろ恐ろしくなって来たに違いなく、歯の根をカチカチ鳴らしていた。
 ――じっとして坐っていらっしやい。もっと高く上ってしまうと、却って怖くなくなりますよ。」と私が二人をなぐさめると、西洋人はちらりと私の方を見たようであった。
 軽気球はそれを繋留する綱の長さだけ上りつくして、さて止った。空の上のことだから、どんな日和にしても、必ず目に見えない風が流れていて、私共もそれに従って右や左に多少は揺られるのであった。田舎の女の人と中学生とはすっかり勇気をなくしてしまって、籠の底に坐ったまま到頭起き上がろうと
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