った。
 西洋人の方でも、私を訝しく思ったに違いない。一日、西洋人はためらいながら口を開いた。
 ――毎日同じ時間にお目にかかりますね。」
 ――為事《しごと》の都合でこれ以上早くは来られないのです。」と私は答えた。
 ――軽気球をそれ程お好きですか?」
 ――そうです。軽気球から眺めた景色はどんな上手な風景画よりも美しいと思います。」
 ――天国により近いせいで、地上のすべての汚れが浄められて見えるかも知れませんね。」そう云って西洋人は微笑した。
 私は思い切って訊き返した。
 ――それでは、あなたの毎日探して居られる秘密について教えて下さい。」
 すると西洋人は忽ち狼狽した。
 ――いやいや、これだけはうっかりお話しするわけに参りません、そう、しいて云うならば地上の宝です。は、は、は、は……」
 彼はそれからふいと慍ったような顔をして、くるりと背中を向けると、再び双眼鏡を覗きはじめた。
 だが、その後間もなく、私は途方もない不徳な誤解を、西洋人に対して抱いていることを知るに致った。
 軍事探偵なぞと云うものは、内気なツルゲエネフのような顔をしていたり、またそんな子供の運動帽子みたいな色彩をした風船に乗っていたりするものではない――と私は、心のうちでひそかにくやんだことであった。

 5

 開期三ヶ月の博覧会も終りに近づくと、季節はだんだん梅雨時へかかって来た。雨が降れば勿論軽気球は上がらなかった。そして私はしめった不健康な家の中で、まるで羽衣を失った天人のように、みじめに圧しつぶされて、所在なく寝ころんでいるばかりであった。
 朝の中は薄日が当っていても、午後になって欝陶しいつゆ空に変って、やがてビショビショと降り初めると、軽気球は折角出かけて行った私共の前で悲しくつぼんでしまうようなことさえ幾度かあった。私と西洋人とは、諦め難く、永い間どんな小さな雲の切れ目でも見付け出そうとして待ちあぐんだ果に、いよいよ本降りになった雨の中をお互に慰さめ合うような苦笑を洩しながら肩をならべて帰った。
 彼がスフィンクスであったにしても、私共はともかくその位の親密な体裁にはいきおいならざるを得なかった。ミハエル某と云う彼の名前も私はおぼえた。
 その日もひどく覚束ない空模様で、天気予報も雨天を報じているのに拘らず未練がましく出かけて行った私が、電車を降りた時にはすでに、霧雨が
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