僅かと三本の煙突とがのぞかれた。煙突はもう大分古くなって煤けていた。併し、この頃の季節に朝や夕方煙を出すのは矢張り両側の二本だけであった。
彼女はその年になってもなお真中の小さい煙突を哀れに思うことをやめなかった。
(あたしの赤い煙突。なぜ煙を吐かないの?……お父さまとお母さまとの煙突はあんなにどっさり煙を吐いているのに……可哀相なあたしの赤い煙突!)
尤も最早赤い煙突ではなかった。赤かった色は醜い岱赭色《たいしゃいろ》に変っていた。
その時ふと隣の邸の中から唄声が聞えて来た。
…………
妙に清らの、ああ、わが児よ
つくづく見れば、そぞろ、あわれ
かしらや撫でて、花の身の
…………
どうやら若い男の声であった。彼女は今迄一度だって隣の邸でそんな唄声のしたのを聞いた事がなかったので、窓枠の外に顔をさしのべて耳を欹てた。頸の両側へ綺麗に編んで垂れた真黒な振分髪の先に結んである水色のリボンが夕方の風に静かに揺らいだ。
いつまでも、かくは清らなれと
いつまでも、かくは妙にあれと
…………
唄の声が段々近くなって、やがて彼女の窓と真正面に向き合ったところにある紅がら色に
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