も夜も彼女の枕辺から離れなかった。彼女の両親はようやく青年を不思議な人間だと思った。
彼女は熱に浮かされている間中、かさかさに乾いた唇をあえがして譫言を云った。
――あたしの赤い煙突!……あたしの赤い煙突!……屹度病気なのだわ……可哀相なあたしの赤い煙突……」
青年は窓の外を見た。夜が更けて雪が降りしきっていた。向い側の真白な屋根の隅に、三本の煙突の黒い影があった。両側の二本はこうこう[#「こうこう」に傍点]と鳴りながら薄赤い焔を上げていた。しかし、真中の哀れな一本は、雪に塗れ寒く小さかった。……
だが、幸なことに彼女は死ななかった。すでに病の峠を越えると熱はずんずん退いて行った。彼女は静かに楽々と眠りつづけた。彼女の両親も青年も全く安心してよかった。
幾日ぶりかで彼女の眼がはっきりと見開かれた時、彼女は枕元にたった一人で坐っている青年を見た。
――おや、眼がさめたんですね。」青年は何かしら、うろたえるように云った。
――お父さんや、お母さんは?……あなたお一人?」
――ええ。」
――あたし、もういいのかしら…」
そう云い乍ら彼女はふと窓に眼を遣った。すると彼女は唐突に笑い出した。病気のためにひしゃがれたような笑声だったが、丈夫な時にだってそんなにも喜ばしげに晴々と笑うことは滅多にないのだった。そしてその却々《なかなか》に止まり相にもない笑いを辛うじて飲み込みながら、窓の外を指さして云った。
――あれを、あれを、ごらんなさいな!……あたしの赤い小っちゃな煙突から煙が出ているじゃありませんか!……まあ、一体どうしたって云うことなのかしら!……」
青年は三本の煙突を見た。なる程、真中の小いさな岱赭色をした煙突からも両側のと同じように盛に煙が吹き出ていた。
――なあんだ。そうか……そんなことか。……」そう云って、今度は青年も一緒になって笑った。が、彼女はひょっと[#「ひょっと」は底本では「ひよっと」、223−6]青年の眼に泪が一ぱい溜っているのを見たように思った。
それから彼女の赤い煙突は毎日煙をあげつづけた。三すじの青い煙や黒い煙が雪の中を勢いよく流れて行った。夜になると、風に懐しい音をたてて、ばら色の炎のさきをのぞかせた。彼女はそれを二階の窓からぼんやり眺めていた。病気でない日も、毎日眺めていた。ところが、彼女の心は、喜ばしさではなく、今
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