僅かと三本の煙突とがのぞかれた。煙突はもう大分古くなって煤けていた。併し、この頃の季節に朝や夕方煙を出すのは矢張り両側の二本だけであった。
彼女はその年になってもなお真中の小さい煙突を哀れに思うことをやめなかった。
(あたしの赤い煙突。なぜ煙を吐かないの?……お父さまとお母さまとの煙突はあんなにどっさり煙を吐いているのに……可哀相なあたしの赤い煙突!)
尤も最早赤い煙突ではなかった。赤かった色は醜い岱赭色《たいしゃいろ》に変っていた。
その時ふと隣の邸の中から唄声が聞えて来た。
…………
妙に清らの、ああ、わが児よ
つくづく見れば、そぞろ、あわれ
かしらや撫でて、花の身の
…………
どうやら若い男の声であった。彼女は今迄一度だって隣の邸でそんな唄声のしたのを聞いた事がなかったので、窓枠の外に顔をさしのべて耳を欹てた。頸の両側へ綺麗に編んで垂れた真黒な振分髪の先に結んである水色のリボンが夕方の風に静かに揺らいだ。
いつまでも、かくは清らなれと
いつまでも、かくは妙にあれと
…………
唄の声が段々近くなって、やがて彼女の窓と真正面に向き合ったところにある紅がら色に塗った裏木戸が開くと、全く見知らない一人の背の高い青年が出て来た。ところが青年は思いがけない彼女の顔に出遇うと顔を赭くした。そして周章てて表通の方へ出て行った。その素振りには、まるでひどく気を悪くでもしたようなところが見えた。
だが、次の日の夕方になって彼女はその青年と言葉を交した。昨日と同じ位の時刻に、同じメロディ[#「ィ」は底本では「イ」]を今度は口笛で吹きながら、紅がら色の裏木戸から出て来た。そしてやはり赤い煙突に眺め入っていた彼女と顔を合わせると、またちょっとばかり赭くなりはしたが、極めておずおずと呼びかけた。
――今日は、お嬢さん。お病気はよろしいんですか?」
――ええ。……」
彼女はなぜ青年が自分のことを知っているのか不思議に思った。
――お嬢さんは、何時でもそこのお部屋にいるんですか?」
――ええ。……」
彼女を見上げている青年の眼が、決して少しも彼女を見つめようとはしないのを不思議に思った。
――何を見ていらっしゃったの?」
――あなたのお家の赤い煙突。」
――僕の家の赤い煙突ですって?」
青年は変な顔をして、自分の出て来た邸の屋根を振り仰いで見た
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