快く彼にそれを与えた上、さらに、恰度持ち合せていた阿母《おふくろ》の片見の金側時計、古風な厚ぼったい唐草の浮彫のしてある両蓋の金側時計を副えて贈りました。彼は僕にそのしゃれたピエロの服をくれました――それから間もなく僕たちは郁少年と別れて霞飛路《アヒロー》の宿へ帰って行ったのでした。
で、到頭その日、即ち電話の予告のあった翌日一日は、何事もなく、少くとも僕の一身には何事も起らずに過ぎてしまったわけでした――が、可哀相なことにも、郁少年の身の上には実に容易ならぬ事件が突発していたのです。僕はそれを、その翌々日、酒山碼頭《ヤンジットー》を日本へ向って解纜しかけた船の中で知りました。波止場で買った新聞に偶《ふ》と、次の様な意味の短い三面記事を見出したのです。
再び黄浦江の惨殺死体
(去る××日胡某の惨殺され居りたるウインソア橋に近き黄浦江河岸に復た/\昨朝午前六時頃年若き男の惨殺死体漂着せるを発見せり。胡同様、無慙にも顔面の皮膚を剥ぎそられ何処の者とも判明せざれど年齢二十三四歳位にて、サムライの仮装着を着けたるところより多分前夜何処かの仮装舞踏会に出席したる日本人にあらざるかと推測さる。懐中には数百円入りの紙入れと唐草の浮彫をほどこせし古風なる金側懐中時計を所持したるをみれば盗賊の仕業にてはあるまじく多分深き遺恨ある者の所為なるべし……)
上海ではあまり珍しくもない事件なので、極めて簡単にしか出ていませんでしたが、それでもその殺された若い男が確かに、郁少年に違いないと推断させるには充分でした。あわれな郁少年! 道理で、あれ程どんな事があろうとも船までは見送りに来ると云っていた彼の姿は見えずにしまったのだ……(清水の眼には泪がいっぱいに溢れていた)
長崎に上陸するとすぐ僕は、例の象牙の牌を三千円で、ずいぶん廉いとは思ったが、売り払ってしまいました――郁少年の無慙な死に弥が上にも憂欝になっていた僕は、殆ど毎日終日|船室《ケビン》の中に引きこもっていたのですが、その間に僕は幾度となく密かにその牌を取り出しては眺め入りました。すると、どうしたわけあいか、不思議なことにも、段々とその不気味な白と赤との対照がたまらなく不愉快に、ついには見る毎に鮫肌たつ程いやらしいものに感じられて来たのです――三千円じゃァたしかに廉すぎましたよ。本当の値うちの十分の一にも当らないでしょう。併
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