えないものであろうか! と井深君は思った。
 井深君は知らず識らず人々の一番前に出てしまった。そして、どうして井深君にそんな敢為な志が湧き起こったのであろうか、それはただその少女があまりにも自分の恋人にそっくりであったから――と云う理由だけに過ぎない。井深君はその頭の禿げ抜けた主人らしい男に事の顛末を訊ねたのである。頭の禿げた男は井深君の中山帽子やその他の身なりに対して敬意を表しながら可なり丁寧に説明して聞かせた。その少女は夕食のために定食を食べたのだが、食べてしまうと、金入れを紛失《なく》くしたと[#「紛失《なく》くしたと」はママ]云って代を払わなかったと云うのである。
 ――二円? それ位の金で、こんな年のいかないお嬢さんにこんな恥をかかせるものではない。僕が払いましょう。」井深君は話が存外やさしい事柄であったのに安心しながら云った。
 ――あなたさま、お知り合いでいらっしゃいますか?」
 ――そう、まあ知り合いですね。……江戸川の立派なお邸のお嬢さんだよ、お父さんは男爵でね。電話をかけましょう。――君は不良少女なぞと云ったことを、勿論みんなの前でお詫びする[#「お詫びする」は底本
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