の通りの恋人らしく振舞っておくれ。もとより、らしく[#「らしく」に傍点]と云うからには、単にその見せかけで結構なのだ。勿論誰にも知らせないで、おっつけ土くれになってしまう僕の体と一緒に亡びてしまう秘密だ。ねえ、どうぞ、この子供っぽい果敢ない望みを叶えてはくれまいか」とね、幸子さんはしばらく思案していた様子だったが、やがてその眼に大きな美しい泪の玉が浮かび上ったかと思うと、こっくりと一つ頷いて――いいわ。……あたし、本当はやっぱり誰よりも旻さんが好きだったの。あんたこそ、あたしのたった一人の恋人よ。」と云った。そして優しく僕を抱いて、幾度も幾度も僕にくちづけしてくれた。僕の心は俄かに怪しくなった。幸子さんのその素振りが、果して芝居であるか、真実であるか、僕には判断が付き兼ねたのだ。幸子さんと僕とは、それから始終、人目を憚っては愛撫し合った。初めの、僕の計画では、二人の媾曳を、まざまざと兄さんに見せつけてやるつもりだったのだが、僕はあべこべ兄さんに対して密夫らしい要心をしはじめた。僕は意気地のない話にも、この自分で書き下ろした芝居の恋に、たあいなく溺れてしまったのだ。
 僕は少年の日の恋を、あらためて復習しはじめた。僕は楽しかった。そして段々元気にさえなった。……それだのに、僕は幸子さんを殺すことになってしまった。あの日だって別に何時もと変ったことはなかったのだが、庭先でほんの鳥渡した心のゆるみから何気なく口にすべらした冗談が、意外に幸子さんの気に障ったらしかった。
 幸子さんが、唐突に走り出したので、何というわけもなく僕もその後から追いかけた。幸子さんは松林の端れの断崖の縁に立って泣いていた。幸子さんは僕の顔を見るとひどくヒステリックになって、如何にも憎々しげに怒鳴った。――卑怯者! 死んでおしまい! 誰があんたなんか愛しているもんか! あんたは自分であたしに芝居をしてくれと頼んだじゃないの。それを今更居直ったりして何と云う悪党なんだ!」僕は絶望のどん底に叩き落とされて、目の前が真暗になった。そうだ、芝居だったのだ!……自分でたくらんだ浅ましい芝居だったのだ! 僕は幸子に詫びた[#「詫びた」は底本では「詑びた」]。これからは決してこんなに思い上った真似はしないから、どうかもう少し我慢してこの芝居を続けてくれるようにと、哀訴し歎願した。だが幸子は冷酷にそっぽを向いて諾かなかった。僕はそこで遂に幸子に斯う云った。――よし、それでは仕方がない。この芝居の大詰は模様更えだ。心変りのした憎い女め! 俺は貴様を殺してやるぞ!」そして、僕はそう云い終るが早いか、真蒼になって立ちすくんだ幸子さんを崖の上から突き落してしまったのだ。咄嗟の場合、僕は愛する女を、永劫に人手に渡さぬためには、自分の手で殺してしまうよりほかなかったのだ…………」
 旻は、さて枕に顔を押し当てて、すすり泣いた。
 晃一は、黙って夜具をかぶってしまった。
 風をまじえた雨の、雨戸へふきつける音が聞こえた。

 6

 しばらくして、晃一は蒲団から顔を出すと、穏かな調子で旻へ話しかけた。
 ――旻、お前の話は嘘ではあるまいと思う。」
 旻は返事をしなかった。
 ――だが旻、幸子を殺したのは、少くともお前ではないのだ。なある程お前は殺すつもりで、突き落したかも知れないけれど、幸子は墜落の途中松の木にひきかかって気絶してしまった。その時は未だ死んではいなかったばかりでなく、せいぜい僅かな擦り傷を負った位のものだろう。それをお前達の後をつけて行った一人の男が、幸子の悲鳴におどろいて、その場へ駈けつけて見るともうお前の逃げ去った後だったが、崖の下に幸子がひきかかっているのが見えたので、早速何処かへ行って綱を持って来て、それを頼りに幸子のところへ降りて行った。そして、その男は幸子を助けると思いの外、そこでしばらく思い迷った様子だったが、どういうつもりかあらためて幸子の体を下へ蹴り落したのだ。その男と云うのは僕に外ならない。……何故また、僕がそこでそんな風にして幸子を殺さなければならなかったかと云うのか?……僕は最初から、お前たちの間を信用してはいなかったのだ。我々の様なお互の関係に置かれて、まるきり疑いをさし挾まないですませることは不可能だからね。僕は段々その疑を荷重に感じ始めた。僕は表面に平静を装いながら猟犬のように、お前たちを嗅ぎ廻った。併し、真実お前たちの間に未だ何もなかったのか、それともお前たちの方が役者が一枚上であった故か、容易に僕は尻尾らしいものを掴むことが出来なかった。僕は自分ながら可笑しい程妙な焦燥に堪えられなくなった。まるで、最初からお前達の不義を待ち構えて、ただそれだけの理由で、お前たちをペテンに掛けるために計画的な結婚を敢えてしたのでもあるかのような気持にさえなっ
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