勝敗
渡辺温
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)頓《とみ》に
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)何だって※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
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1
兄を晃一、弟を旻と云う。
晃一は父親の遺して行った資産と家業とを引き継いで当主となった。旻は実際的な仕事が嫌いだったし、それに大学の文科へ入って間もなく肺病にとりつかれたので、海辺の別荘へばかり行って、気儘な暮しをしていた。
兄弟仲は決して悪い方ではなかった。一月に一度はかかさず、兄は嫁の幸子と共に、あらかじめ弟の欲しがっている手土産なぞを打ち合せて置いて、はるばる別荘へ遊びに行った。
ところで、晃一の嫁の幸子は幼い時分から晃一の許嫁として、兄弟と一緒に育てられた身なのだが、未だ女学校にいる頃、高等学校の学生だった旻と恋に落ちて、駈け落ち迄したことがあった。
二人が捕えられて連れ戻された時、晃一は親たちにせがんでその事件を暗黙に揉み消して貰った。
――お前の罪は責めるまい。本当ならば、幸子をお前に譲ってやるべきだろうけれど、僕には彼女を思い切ることは到底出来そうにもない。どうか、お願いだから手を引いてくれ。」晃一は、弟に向って、そう云った。
そして、旻と幸子とは厳重に引きはなされてしまったが、時が経つ中に二人の情熱も漸く冷めて、その儘案外容易におさまることが出来た。
晃一と幸子との結婚式の折には、旻はもう肺病になって海岸へ転地していたのだが、わざわざ出て来て席に連なった。
――三人とも子供の時分は本当の兄弟だと思っていたんだがね。」
病気窶れがして寂しい頬の色だったが、旻は新夫婦の顔を見比べて、そう云って笑った。
2
その秋に入って、旻の病勢は頓《とみ》にすすんだ。
それで幸子は夫の同意を得て、義弟の看護のために別荘に逗留することとなった。晃一も殆ど毎度の週末には泊りがけで遊びに来た。
旻にして見れば兄夫婦が、それこそ唯一つの身内だったのでこの上もなく喜んだ。
幸子は寝食を忘れて病人の看護につくした。
病人は、海にむかって硝子戸を立てめぐらした座敷で、熱臭い蒲団に落ち込んだ胸をくるんで、潮風の湿気のために白く錆びついた天井を見つめた儘、空咳をせ
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