四月馬鹿
渡辺温

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)出勤際《でかけ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)真赤な|お椀帽子《ベレー・バスク》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「竹かんむり/銭のつくり」、第4水準2−83−40]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)図う/\しい
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 何が 南京鼠だい

『エミやあ! エー坊! エンミイ― おい、エミ公! ちょっと来てくれよオ、大変々々!』出勤際《でかけ》に、鏡台へ向って、紳士の身躾をほどこしていた文太郎君が、突然叫びたてました。
『なあに? なんて、けたたましい声を出すの? お朔日《ついたち》の朝っぱらから気の利かないブン大将』
 妻君のエミ子が、台所から米国製の花模様のあるゴムの前掛で、手をふきながら出て来ました。
『まあ頭を、ちょっと嗅いでみておくれ? 臭いの何んのって!』文太郎君は顰めっ面をしながら、もみ苦茶になった頭をさし出しました。
『どうしたの? コリス?――』
 コリスと云うのは希臘《ギリシャ》語で、その昆虫の名前だと、或る大学生が何時かエミ子に教えてくれたのです。
『違うよ。ウイスキイだよ。頭が、ウイスキイなんだってば……』『まあ、本当だわ。ぷんぷん――迚も、景気のいい香《におい》よ。でも、何だって今時分酔っぱらっちゃったの。あんたの頭?』
 エミ子は兎も角、タオルで、ゴシゴシと旦那様の頭をこすってやりました。
『オウ・デ・コロンをつけたんだよ。四七一一番のオウ・デ・コロンはアルコオルがうんと入っていて、古くなるとウイスキイに変質するって話でも、聞いたことあるかい?』
『何を云ってんの、莫迦々々しい! あたしが、今朝わざと取り更えて置いたんじゃありませんか。あんたが、いくら不可《いけ》ないって云っても、あたしのオウ・デ・コロンをフケ取りの香水の代りに使うから、懲しめのためにやったの。ウイスキイに両替すれば、勿体ないってことがあんたにも解ったでしょう。いい気味だわ。』
『畜生! 不礼者《ぶれいもの》!』文太郎君は、タオルをかぶった儘頭をふりたてました。
『そんなに憤るもんじゃないわ。今日は、だって、四月一日よ。』『四月一日が如何した?』
『あら、あんた四月馬鹿《エプリル・フール》を知らないの?』
『出鱈目云うない。そんなもの知ってるもんか!』
『呆れたわねえ、ブン大将は! そんな、古ぼけた頭にオウ・デ・コロンをつけようってんだから、いよいよもって図う/\しいわよ。四月馬鹿ってのはね――あんただって、チャールストンとワルツの違い位は知っているんだから、教えといて上げるわ。――四月のお朔日《ついたち》は一年にたったいっぺん、どんな途方もない出鱈目をやって、人を担いでもいい日なの。あたしたちには、クリスマスなんかより、もっと祝福すべき祭日なのよ。』
『ほう、本当かね――』文太郎君は、こすった位では、迚も芳醇の香の抜けない髪の毛を諦らめて櫛で、撫でつけ乍ら目を瞠りました。『そう云われれば、なる程、西洋の小説で読んだこともあるような気がする。』
『アスファルトの道を散歩する資格なしね。去年の四月馬鹿なんか、随分面白かったわ。あたし、学校を出たばかりで恰度神戸へ遊びに行っていたんだけど、海岸通りの石道を昼間一人で何の気もなしに歩いていたの。そうすると割合に寂しい横丁の出口のところで、日本人のお婆さんが、長さ五尺位の菰《こも》でくるんだ大きな荷物を道ばたに立てて、それをウンウン唸りながら担ごうとしているんだけど、迚も重たくって担げそうもないのよ。』
『それで、エンミイが馬鹿正直に担いでやったのかい? ところが中味が矢張り菰ばかりで、軽々と、担がれたってね。ザマあ見ろ! はっはっはっ……』
『黙ってお聞きなさいよ。担いだのも、担がれたのも、あたしじゃないの。折から通りかかった一名の西洋紳士。それを見つけると、吃驚したように立止って、お婆さんの様子を眺め、それから、あたしの方を見て、淑女の面前である手前、どうにも義侠心を出さずにはいられなくなったらしかったわ。直ぐとお婆さんの傍へ寄って、「オモイオモイデスカ。ワタクシ、オブッテサシアゲマス」云いながら、その菰包みに腕をかけて、ヤッとばかりに持ち上げようとしたんだけど、さてビクともしないじゃありませんか。大の毛唐が、いくら真赤になって呻いても大盤石の如く貧乏揺ぎもしなかったわ。ところが、その中にお婆さんが、唐突《だしぬけ》にゲラゲラ腹をかかえて笑い出すと、その菰をつい剥がしたの。すると中から現われたのが、何だと思って? 荷物と見せかけた
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