の顔絵具《ドオラン》を入れました。
化粧が終ると、エミ子は、親類中で爪弾きをされている従兄の、また従兄位に当る音楽学校を退学されて、今は銀座の蓄音器屋の嘱託しているピアニストの雄吉君のところへ電話をかけました。この男は、自分が年齢の半分も子供に見られ度がる嗜好から、自ら『お雄坊』と名告っていると云う程の品質《たち》で、エミ子さんが結婚する前には、幾度か付け文をしたことのある男です。
『――モシモシ、お雄坊? 今日、いいお天気ね。暇? え、暇だけど、暇なんかには飽きてるって?……そう、あのね、これから江の島へ連れてって上げようか? 嘘なもんか、本当さ。行きたけりゃ、余計なことを云わずに、直ぐ仕度をしておいで。だけど、あんまり気障な姿《なり》して来ちゃいけなくってよ。』
エミ子はそれから、黒地のフロックの首や手首に金箔の条を巻きつけた洋服を着て、真赤な|お椀帽子《ベレー・バスク》をかぶって、待っていました。ペンギン鳥の恰好をした手提げのお腹には、勿論ありったけのお紙幣《さつ》と銀貨とを押しこみました。
やがて、雄吉君が桃色みたいな派手なゴルフ服を着て、鼻眼鏡をかけてやって来ました。
『やあ、金ピカだなあ! 金ピカのグレタ・ガルボオですか。迚も素晴しいや。』と、雄吉君はエミ子の姿を眺めて、大袈裟に驚いてみせました。彼は、エミ子さんが、何だって自分をこんな風に優しい方法で思い出して誘ってくれたのか、全く嬉しさに燥ぎきっている様子でした。
『お雄坊を世間の知らない人が見て、あたしの旦那様だと思ってもそう不似合いじゃない位、立派にしていてくれなくちゃ駄目よ。』
エミ子さんは、鳥渡ばかり青い眼ぶたを伏せるようにして、そう云いました。
『|よろしいです《ビアン》。|お嬢さん《マドモアゼル》!』雄吉君は手をこすり合わせながら、お辞儀をしました。
『あたしが、お嬢さんだって……奥さんと云って頂戴。……あたしの靴なんか揃えてくれなくたっていいのよ。男の癖にみっともない……』二人はこうして、江の島へ出かけて行きました。
いいん いん いん
わざと小田急には乗らずに、東京駅から鎌倉へ行って、鎌倉から幌を取らせた自動車で稲村ヶ崎を抜けて、海辺づたいに真直ぐに、江の島へ向いました。
おそらく一二時間先に、文太郎君とその恋人とが江の島に着いているとすれば、まず人目の少い片瀬から七
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