ちょうだい。」
「わからずやの子だね――」
井深君はそれでも為方がないので、タイピンをば取って娘に渡した。
「まあ、素敵!……ちょいと、あたしにだって似合うでしょう。」
娘は心から喜ばしそうに、そのピンを橙色の胸にさして、ちょっとポーズをしてみせながら明るい蓮葉な声で笑った。
「さあ、ほんとにそれでいいかね。……それでは、それでいいものとして、私はもう帰るよ。」
「待って。あたしも帰るわ。」
それから二人はその家をカフェ・マンゲツを出た。おもてには雪がさかんに降りしきっていて地べたはもう隙なく塗りつぶされてしまった。二人とも傘がなかったので、再び雪に塗れ乍ら電車道まで歩いた。娘のお河童頭とオレンジ色のジャケツとは忽ち真白になった。
(あんなタイピンなんか貰うよりも、なぜ外套でも買うことをしないのだろう! 考えれば考える程へんな娘だ――)
井深君は娘のその痛々しい有様を何とも云えない心持で眺めたのであった。
電車道に出ると、ふと娘は立ち止まった。そして、ひどく愁しそうな顔をして井深君を見上げて云ったのである。
「あたし、やっぱりお返しするわ、このピン……」
「うん、それがいい。
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