ぞは見せもせずに真直に歩いて行く。そして何時の間にか、今しがたまであれ程派手で威勢のよかったのに引きかえ、後姿ながらひどく元気を失い如何にも悲しげな恰好に首や肩をまるまるとすぼめているのであった。
 二人は間もなく山下町の河岸に出た。黒くよどんだ河水は乏しい街燈が凍えて映って暗く淋しかった。そして悪いことに到頭雪が降って来たのである。しびれを切らしていたような勢いではげしく降って来た。
 井深君は、みるみる雪のために、帽子もかぶらないお河童の頭とオレンジ色のジャケツが白く塗れて行くのを眺めているうちに、少々変な気持がし出した。
(はてな! これは見損いをしたかな――)
 だが、殆ど同時に娘もそれと同じことを考えたらしかった。そして俄に踵を返すと、まともに井深君の前へ立ちふさがった。
「?……」今にも泣き出しそうな子供の大きな眼で見上げた。
「今晩は――」と井深君は辛うじて云った。
「あたし、寒くて、それにお腹が空いて……」と娘はさもさもそんな風な声で云うのであった。
「何処か、この付近にいい家がある? それとももう一ぺん銀座迄戻りましょうか。」
「いいえ、この直き裏の通りにあたしの知っている家があるわ。」と娘は赤くかじかんでしまった指で指さしながら云った。
「そう、じゃ其処へ行きましょう。」
 井深君は娘を連れてその家へ行った。狭い路地を這入ったところにある見るからに不景気そうな家で、青い花電気のさしている見世窓のガラスへ弓形にローマ字でカフェ・マンゲツとしるしてあった。
(マンゲツ……満月と云う意味かしら)
 と井深君はそんな事を思い乍ら雪をはらって其処の二階へ上がった。お客は他に一人もなかった。それでも仕合せなことに、ガス・ストオヴが薔薇色の炎を輝し乍ら盛にたかれているのを見て井深君はホッとした。
「召上り物は?」
 更紗の前かけをかけたひねこびたような女給が、二人がストオヴの傍の食卓へ着くのを待ってそう云った。
「何?――」と井深君は娘に訊いた。
「何でも――」と娘はつつましやかに答えた。
 井深君は少しく勝手が違っているように思った。娘が「あたしの知っている家」と云った以上、そんな女給ともよく識り合っていて、食べ物は勿論万事さぞ気儘に振舞ってみせるだろうと考えていたのに、全くそうではなかったのである。そしてまた女給にしろ、娘に対してどんな特別な親しさをも、或
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