は怪しさをも示さなかった。してみると、娘が知っていると云ったのは単にその家の所在を意味するだけのことらしい。二人は全くフリのお客に過ぎなかった。
 そこで井深君は、自分でも未だ夕飯前だったので、兎に角あまり上等ではないその家の料理を娘につき合って食べた。娘はいかにもおずおずと振舞いはしたものの、彼女の胃袋は井深君の二倍の食慾をもってむさぼり食べた。井深君はその様子を決して不愉快ではない、むしろ或る愛情をもって観察した。年恰好は十六七位の見かけなのだが、それでも本当はもっと余計なのかも知れない。マシマロのように豊かな顔の輪廓に思い切り短く刈り上げてしまったお河童がちっとも不自然でなくよくうつっていた。目鼻立ちもわりに品があってそう悪くはなかった。殊に眼は、物を食べ乍ら時々見上げては極り悪そうに笑う眼は、睫毛が長く散りひろがって、少しばかりやぶ睨みで、ひどく子供っぽい表情になって可愛らしかった。だがさて着ているオレンジ色のジャケツは、銀座通りでひょっと見た時には随分花やかで立派だったのに、よく見るともうすっかり古びてしまって肩のあたりには大きな穴が三つもあいているのであった。(おやおや、これはひどい――)と井深君は何だか急に果無《はかな》いものを見たような気がした。
 やがて食事が終ると女給は張り合いの無さそうな挨拶をして階下へ降りてしまった。
「さあ、御飯がすんだら、少し火のそばで暖まろう――」
 井深君はそう云い乍ら椅子をガス・ストオヴの前へ引き寄せた。
「ええ。」娘もおとなしく井深君の真似をした。
「君、外套がほしいだろう?……」と井深君は薔薇色をしたストオヴの中を見たままで云った。
「ええ。」
「五十円もあれば買えるかな?……」
「そりゃあ、買えてよ……」
 井深君はそこで黙ってふところから沢山の紙幣束を呑んで大きく膨らんだ紙入を出すとその中から五枚の草色をした紙幣を引き抜いて傍のテェブルに置いた。しかし、娘はそれを見ると周章てて井深君の手をおさえて云うのであった。
「いらないわ、いらないわ。……あたし、そんなにはどっさり、あんたからは貰おうなんて思わないわ。……五十円なんて!――五円もあれば沢山。ほんとに五円もあればいいの……そうすればこの毛糸の上衣の穴が隠れる位の襟巻が買えるから。」
 そうして娘は両手をジャケツの穴のところへ当てて、巧みに目ばたきをさせなが
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