通りを振向いて見る位の用意はあったのだ。それで振り向いてみた。すると曲り角からつい三間ばかりのところを、その娘がスペインの踊子のように両手を腰にかって大きく肩をゆすりながら向うへ歩いて行くのである。甚だ奇妙なことであった。と云うのは、彼女が若しも其処の甃石の中から突然せり上って来て歩き出したのでもない限り、そのあたりは恰度××ビルディングの普請場の板囲《いたべい》が続いているところだったので、彼女がそうした工合に意気揚々と立ち出でそうな玄関口なぞは一つもなかったのだから。
(おや――)と井深君は屹驚してちょっとの間足を停めた。その途端にオレンジ色の娘はクルリとお河童の頭だけを廻して井深君を見た。そしてあけっぴろげな笑顔でニッコリ笑ったものである。が、直ぐまたすた/\と威勢よく肩に波を打たせながら歩き出した。
(ははあ、あいつ、不良だな――)と井深君はその時はじめて気が付いた。
 気早な冬の陽ではあったし、それに空模様はいよいよ怪しくなって来ていたので、もう四辺《あたり》の色合はすっかり物悲しげに夕づいて見えた。そのトワイライトの中を風に吹かれて、オレンジ色の大胆らしく大股に遠ざかって行くのを見守っている中に、井深君はどう云うものか、ふと後をつけてみたい誘惑に囚えられたのである。……こんな風に云うと或は井深君を誤解する人があるかも知れない。併し実際は稀にみる温厚の士で、その年になって未だ茶屋酒の味はおろか、飯を食べに這入るカフェだって白粉の臭のしそうな家はひたに[#「ひたに」に傍点]敬遠している程の井深君である。ただ、おそろしく気まぐれでその上並々ならぬ空想癖をもっていたために、それが偶々《たまたま》こうした思いがけない調子外れの行為となって現われる迄の事であった。
 井深君は外套の襟を深く立て、ついていた蛇紋樹《スネエキウッド》のステッキを小脇にかい込むやもう一町も先の方へ小さく薄れて行くオレンジ色のジャケツを追いかけ始めた。井深君は人並より背の高い方であったし、女の足の一町程ならば容易に取り返すことが出来た。が、そう早く追い付いてしまったところで、さてどうにもならない話なのである。井深君は少くとも五間の間隔を残して置かなければならなかった。娘はと云うのに、何も気が付かないらしい様で、無論そんな莫迦な事はあるべくもないのだが、とにかく決して背後に心を配るような素振な
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