顔へ眼鏡と髭とを悪戯書したその時の私の人相と、まるでそっくりなのである。
 私はそこで顔ばかりでなく、心迄がその男と共通のものを持っていたと見えて、その恋人である女優へ、まことにやみがたい恋慕の情を抱きはじめるに至ったのである。
 私は姉の眼をぬすんで、ひそかに黒い眼鏡と、黒いつけ髭とを買いととのえた。
 そして或る晩私は遂に、その男よりたった一足先廻りをして彼女と会った。
 私は毎晩、その男のすべての動作をよく研究して会得していた。私は口笛を軽く吹きながらステッキを振って、ゆっくりと大胆に近づいて行った。女は、そんなに巧みに変装した私にどうして気がつく筈があろう。果して、、彼女は並木の木蔭からいそいそ走り出ると、ニッコリ笑いかけて、優雅な身振りで可愛らしい両手をさしのべた。私は、恥しさと、嬉しさと不安とでぶるぶる慄えた。
 目近くに見た彼女は何と云う美しい女であろう! 私は彼女のエメロオドのような瞳に、またもぎ立ての果物のような頬に、また紅い花模様の上衣の下にふくらんだ胸に、私の命を捨てても惜しくはなかった。
 私は勇気をふるって、鳶色の木下闇《このしたやみ》で彼女を抱き寄せた。
 
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