らなかったのだ。
 そして、その次にたあいもなく引金をひいてしまう。――恰度十一時で、教会堂の鐘の響のような時計の音が一入《ひとしお》効果を添えたことであろう。
 遺書は――認めている程の余裕があったならば、自殺しなかったかも知れないのである。
 翌朝、美代子が死体を発見して、投げ出されているピストルを見て、黒いリボンでもあれば尚更のこと、葛飾に殺されたものと思い込む。そして葛飾を庇うためにピストルを死人の手に握らせる。
 だが彼女は、意外にもその疑が自分の上にかかって来てのっぴきならなくなった時に、あくまでも葛飾を庇いきる程の勇気もなかった。
 しかも結局、二人の男の一生を自分故に台なしにしてしまった自責の念と果無さとに堪えかねて、せめてもの罪滅しにと、偽の遺書を遺して死んだのである。心の中では矢張り葛飾を有罪と信じながら――
 そして葛飾は美代子のその哀れな志も空に、彼女こそ真の犯人であると考えている。



底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
   1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「新青年」1929年5月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ
2001年10
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