庵に坐らせてもらつて居るので、何と云ふ幸福でせうか――。又、同人井上氏の御同情は申す迄も無く至れり尽せりでありまして、是等一に、井師を機縁として生じて来たものであると云ふ事に思ひ到りますれば、私は茲に再び、朗々、観音経を誦さなくてはならない気持となるのであります。
 丁度明治卅五年頃の事と覚えて居ります。其頃、井師も私も共に東京の第一高等学校に居りました。井師は私よりも一級上級生といふわけで、其頃は俳句――新派俳句と云つた時代です――が非常に盛で、其結果「一高俳句会」といふものが出来、句会を開いたものでした。句会は大抵根津権現さんの境内に小さい池に沿うて一寸した貸席がありましたので、其処で開きました。そこの椎茸飯といふのが名物で、お釜で焚いたまんまを一人に一つ宛持つて来ましたが中々おいしかつた、さうした御飯をたべたり御菓子をたべたりなんかして、会費は五十銭位だつたと記憶して居ます。いつでも二十人近く集りましたが、師匠格としてきまつて、虚子、鳴雪、碧梧桐の三氏が見えたものです。虚子氏が役者見たいに洋服姿で自転車をとばして来たり、碧梧桐氏の四角などこかの神主さん見たいな顔や、鳴雪氏のあの有
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