あの少しの風音すらも怖がるKが、右申上げたやうな場合は平気の平左衛門なのです。例へば浅草の十二階……只今はありませんが……なんかに二人であがる時、いつでも此の意気地無し奴がと云ふやうな顔付をして私を苦しめるのです。丁度、蛇を怖がる人と、毛虫を怖がる人とが全然別の人であるやうなものなんでせう。浅草といへば、明治三十年頃ですが、向島で、ある興業師が、小さい風船にお客を乗せて、それを下からスル/\とあげて、高い空からあたりを見物させることをやつたことがあります。処がどうです、此のKなる者は、その最初の搭乗者で、そして大に痛快がつて居るといふ有様なのです……いや、例により、とんだ脱線であります。扨、風の庵の次は雨の庵となるわけですが、全体、此島は雨の少い土地らしいのです。ですから時々雨になると大変にシンミリ[#「シンミリ」に傍点]した気持になつて、坐つて居ることが出来ます。しかし、庵の雨は大抵の場合に於て風を伴ひますので、雨を味ふ日などは、ごくごく今迄は珍しいのでした。そんな日はお客さんも無し、お遍路さんも来ず、一日中昼間は手紙を書くとか、写経をするとか、読経をするとかして暮します。雨が夜に入
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