人も調子が揃つて奇れいなものであります。処がです、此の両派が甚だ合はない。云はゞ常に相嫉視して居るのであります。何しろ、一方は年よりばかり、一方は若い連中、と云ふのでありますから、色々な点から考へて見て、是非もない次第であるかも知れませぬ。
一体関東の方では、お大師さまの事をあまりやかましく云はないやうですが、関西となると、それはお大師さまの勢力といふものは素破らしいものであります。私が須磨寺に居りました時、あすこのお大師さまは大したものでありまして、殊に盆のお大師さまの日と来ると、境内に見世物小屋が出来る、物売り店が並ぶ、それはえらい[#「えらい」に傍点]騒ぎ、何しろ二十日の晩は夜通しで、神戸大阪辺から五万十万と云ふ人が間断なくおまゐりに来るのですから全くのお祭であります。……丁度、東京の池上のお会式……あれと同じ事であります。その時のことでしたが、ある信者の団体は一寸した舞台を拵へまして、御詠歌踊と云ふのをやりました。囃しにはさき程申し上げました美しい鈴《リン》と、それに小さい拍子木がはいります。其の又拍子木が非常によく鳴るのです。舞台では十三から十五六迄位の美しい娘さんが、手拭
前へ
次へ
全47ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 放哉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング