あの少しの風音すらも怖がるKが、右申上げたやうな場合は平気の平左衛門なのです。例へば浅草の十二階……只今はありませんが……なんかに二人であがる時、いつでも此の意気地無し奴がと云ふやうな顔付をして私を苦しめるのです。丁度、蛇を怖がる人と、毛虫を怖がる人とが全然別の人であるやうなものなんでせう。浅草といへば、明治三十年頃ですが、向島で、ある興業師が、小さい風船にお客を乗せて、それを下からスル/\とあげて、高い空からあたりを見物させることをやつたことがあります。処がどうです、此のKなる者は、その最初の搭乗者で、そして大に痛快がつて居るといふ有様なのです……いや、例により、とんだ脱線であります。扨、風の庵の次は雨の庵となるわけですが、全体、此島は雨の少い土地らしいのです。ですから時々雨になると大変にシンミリ[#「シンミリ」に傍点]した気持になつて、坐つて居ることが出来ます。しかし、庵の雨は大抵の場合に於て風を伴ひますので、雨を味ふ日などは、ごくごく今迄は珍しいのでした。そんな日はお客さんも無し、お遍路さんも来ず、一日中昼間は手紙を書くとか、写経をするとか、読経をするとかして暮します。雨が夜に入りますと、益※[#二の字点、1−2−22]しつとり[#「しつとり」に傍点]した気分になつて参ります。
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灯
庵のなかにともつて居る夜の明りと申せば、仏さまのお光りと電燈一つだけであります……之もつい先日迄はランプであつたのですが、お地蔵さまの日から電燈をつけていたゞくことになりました。一に西光寺さんの御親切の賜《たまもの》であります。入庵以来幾月もたゝないのですが、どの位西光寺さんの御親切、母の如き御慈悲に浴しました事か解りません。具体的には少々楽屋落ちになりますから、これは避けさせていたゞきます……それだけの明りがある丈であります。扨、庵の外の灯ですが、之が又数へる程しか見えないのであります。北の方五六町距つた処の小さい丘の上にカナ[#「カナ」に傍点]仏さまがあります……矢張りお大師さまで……其上に一つの小さい電燈がともつて居ります。それから西の方は遙か十町ばかり離れて町家の灯が低く一つ見えます。東側には海を越えた島の山の中腹に、ポツチリ[#「ポツチリ」に傍点]一つ見えます。多分お寺かお堂らしいですが、以上申した三つの灯を、而もどれも遙かの先に見得る丈であ
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