人も調子が揃つて奇れいなものであります。処がです、此の両派が甚だ合はない。云はゞ常に相嫉視して居るのであります。何しろ、一方は年よりばかり、一方は若い連中、と云ふのでありますから、色々な点から考へて見て、是非もない次第であるかも知れませぬ。
一体関東の方では、お大師さまの事をあまりやかましく云はないやうですが、関西となると、それはお大師さまの勢力といふものは素破らしいものであります。私が須磨寺に居りました時、あすこのお大師さまは大したものでありまして、殊に盆のお大師さまの日と来ると、境内に見世物小屋が出来る、物売り店が並ぶ、それはえらい[#「えらい」に傍点]騒ぎ、何しろ二十日の晩は夜通しで、神戸大阪辺から五万十万と云ふ人が間断なくおまゐりに来るのですから全くのお祭であります。……丁度、東京の池上のお会式……あれと同じ事であります。その時のことでしたが、ある信者の団体は一寸した舞台を拵へまして、御詠歌踊と云ふのをやりました。囃しにはさき程申し上げました美しい鈴《リン》と、それに小さい拍子木がはいります。其の又拍子木が非常によく鳴るのです。舞台では十三から十五六迄位の美しい娘さんが、手拭と扇子とをもつて、御詠歌に合して踊るのであります。此島には未だ、この拍子木も、踊もはいつて来て居らぬやうでありますが、何れは遠からずしてやつて来る事でせう。然し、島の人々の信心深い事は誠に驚き入るのでありまして、内地ではとても見る事が出来ますまい。祖先に対する厚い尊敬心と、仏に対する深い信仰心には敬服する次第であります。慥か、お盆の頃の事でしたが、庵の前の道を、「此のお花は盆のお墓にあげようと思つて此春から丹念に作つて居りましたが……」など云ひ交しながら通つて行く島人の声をきいて居まして、しんみりとさせられた事でした。
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鉦たたき
私がこの島に来たのは未だ八月の半ば頃でありましたので、例の井師の句のなかにある「氷水でお別れ」をして京都を十時半の夜行でズー[#「ズー」に傍点]とやつて来たのです。ですから非常に暑くて、浴衣一枚すらも身体につけて居られない位でした。島は到る処これ蝉声|※[#「口+彗」、215−4]々《けいけい》。しかし季節といふものは争はれないもので、それからだんだんと虫は啼き出す、月の色は冴えて来る、朝晩の風は白くなつて来ると云ふわけで、庵も追
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