んな黒白同一論位は、小学校の時に読んでしまつて、今では忘れてしまつたのだ。第一、そんな拡充の異つた言葉を捕へて、俺の目を眩惑させよーとした処で、支那人とは少し違つてらい。も少し本を読んで来いだ。そんな足台の暗い論はよして、俺の云ふ事でも、筆記して置くべしだ。処で、其の何だ、宇宙間の物総べて異なつて居るのは真理なのだ、で、思ふにだな、どーして斯う異つて居るだらう。同じ物が一つも無いとは、不思議の極ではないか。しかしよく考へて見ると、此処が即我が社会(全体)主義の、尤も有難き所以なので有つて、異つて居ると云ふのが、即、御互ひに相依らなければならないと云ふ所以なのだ。今社会、少なくとも本郷辺の人間の顔付が、みんな同一恰好になつてしまつたとして見ろ、其の混雑はどーだらう。鐘や太鼓で以て「我夫わいのー」「我妻わいのー」「我兄わいのー」で、探し廻らんければならぬ。さ、かう云ふ混雑のない為に、チヤンと様々な異つた顔付に作つて有ると云ふのは、どーだ、人間が社会的、相対的動物なる可き最大証拠ではないか。未だある。此総ての点に於て、異つて居ると云ふのは、畢竟ずるに、あらゆる進歩が生じて来る処であつて、異つて居る処が、平和に、静穏に行く唯一の所以で有るのだ。笑つてばかり居る人も有らう。怒つてばかり居る人もあらう。泣いてばかり居る人もあらう。しかし、かく異つて居る処で平均が取れて行く。皆人間が笑つてばかり居たり、もしくは怒つてばかり居たらどーだ。或は、弥次くつて、饒舌《しやべ》くり廻る人もあらう。黙つて寝て居る人も有らう。走つてる人もあらう。歩いてる人も有らう。かく異つて居るから、万事平均が取れて、うまく運びが取れて行くのだ。もし皆が弥次くり廻つたり、饒舌くり廻つたりして居たなら、其騒ぎはどーだらう。以上に述べた通り、人間がかく総ての点で異つて居ると云ふのが、即、人間は社会(全体)主義者ならざるべからず、相対的ならざる可からざると云ふ所以の物だ。君の如き白い頭にでも、大分これで解する処が有つただらう。即、我輩が風を引いたる所以も解つたであらう。風邪を引いた者もあり、引かぬ者もあり、即之、進歩のある所以、平和のある所以、平均のある所以、相対的なる所以なりだ」
「イヨー、中々くはしい説明だね。併し矢つ張り風は治らん様に見えるな」と、白頭がヘラズ口を叩いて居る時、カラ/\と戸を開けて帰つて来たの
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