A昼の香水でもなく、夜の香水でもなく、夕暮のなか風のなかに、又は、うまい紅茶のけぶるサロンのなかに使用する香水だ。
 勿論、香水の表情の把握は、人によつて違ふだらう。しかし人人の把握するその香水の表情の諸相は、たとひ違ひがあつたとしても、その諸相を一貫するものは等しいのだ。
 だから、香水の表情把握は香水に対する単なる嗅覚的見地から一歩深入りして、香水のかもしだす幻想美をひきだすからだ。
 それ故、香水の表情をさぐるには、先づその香水の香気におぼれ沈んで、さて自己の感情の扇であふぐことだ。そして、どんな幻想が浮びあがるかをこころみるのだ。そして、浮び出た幻想をみつめるのだ。
 さうして行くことによつて、初めは、その香水の表情の起す単純色の幻想から、複雑な幻想のシンフオニイーの愛好に入り更に青色美の持つ幻想の「ゆらめき」、「ほのめき」、「かすけさ」にひたるやうになる。けれど、まだパリジアンの香水愛好の高さには及ばないだらう。
 香水は、音楽と等しく幻想の芸術だ。次から次へと移りながら、消えてゆく音《おん》を捉へると同様に、散りゆく香気の翅を捉へて動きゆく、重なりゆく、高まりゆく、流れゆく幻想の画像をゑがくのだ。
 香水を聞くのには、音楽を聞くのと同様に感情の扇が必要なのも、その理由はここにある。感情の波動のこはばつてゐる時は香水の表情は、よく聞きとれない。
 自分の好きな香水、自分にふさはしい香水を選ぶには、大体の香気のほかに、その香水のなかにひそむ陰影を確めてからでなければならない。
 何故といふに、その陰影は、ただ明るく、ほがらかに、媚にあふれ、姿態を誘ひ、そぞろ心を見せびらかす香気の外的表情の、散漫に陥りやすいのを緊張裡にひきとめ、内的表情にリズミカルな身ぶりをとるやうに不断の拍車をあてるからだ。

    三

 もの忘れした時のやうに、おぼえもあらぬ残り香の漂ひきて薄明《うすあかり》のなかをそぞろあるきするにも似た心地に誘はれることがある。
 香水の持つ、この expression(表情)の魅惑は、更に鋭い感性の探針によつて、いよいよ豊かに、その盛りあがり、湧《わ》きたつ幻想曲を吾々の前に現出する。
 香水は、それを愛用するものに、見知らぬ国を与へるのだ。薄明と夢との交錯する国でありうつらうつらとした青き白日夢《デードリーム》の国である。また、限りない漂泊の旅路の想ひの国である。
 そこに、香水撰択の至難がある。譬へていへば、その表情のハイフエツツの優婉に似通ひしもの、エルマンの甘さに似通ひしもの、ヂンバリストの寂びに似通ひしもの又は、イサドラダンカンの舞踊に、あの華やかなりし頃のニヂンスキーの「牧神の午後」の怪奇さに相通ずるものなど、吾々近代人の香水の選び方は様々の聯想を強ひられる。
      ◇
 若し、日本音楽を愛し、歌舞伎劇を愛し、紫の色を愛《め》で、白緑の色を好み、紺蛇《こんじや》の目を好き而も、近代ジヤズに魅力を感ずる女性あらば、如何なる香水がふさはしいか。マリー・ローランサンの画のやうな香水が好《い》いだらう。あのおぼろげな、眼のない、五月の空気のやうな感情を持てる女の、動物との遊戯の雰囲気。この雰囲気こそ、うつてつけのものだらう。
 リラ・ブランの甘さをキイノートとし、これにバイオレツト・リーブスのやうな快い野性味を極少量伴奏させ、更にジヤスマンの古典風景で包んだとしたら如何であらう、この女性に似合はしくはないか。
      ◇
 時代の刺戟が、吾々をとりまくことの激しさにつれて、吾々の神経系統は著しく敏感になつてきてゐる。
 百合の香に堪へられない人、赤薔薇の香に堪へられない人、リラの香に堪へられない人|等《とう》が出てくる。そして、いよいよ香気の「ほのかさ」に向つて、心が誘はれるやうになる。この「ほのかさ」を愛すやうになつてやうやく香水使用の第一門に入つたのだ。
      ◇
 香水を選ぶのには、まづ大体次の如き二十五種の「感じ」の鍵の助に依ることが便利である。――二十五と限つた訳ではなく数限りなくあるが、茲では、主なるものを挙げたにすぎない。
 すなはち、ある一つの香水を対象として、見つめつつ行つてとぎすまされた感性の触手を動かし、斯くて、その香水から放射される二十五(無限)の「感じ」の一つ一つを味ひ尽すのである。その時、香水は、残るくまなく打ちとけて、親しみの手をさしのべるのだ。

[#香水の「感じ」の図(fig46403_01.png)入る]

1 速度感  14[#「14」は縦中横] 性別感
2 重量感  15[#「15」は縦中横] 硬度感
3 形態感  16[#「16」は縦中横] 角度感
4 音響感  17[#「17」は縦中横] 容貌感
5 時刻感  18[#「18」は縦中横] 性格
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