ゆかない。根本的は、表情のしつかりした鑑別だ。
 話はそれるが、日本の昔の香道などは進んだものだ。ああいふものは、復活させたい。あの全身的感覚を動[#「動」に「ママ」の注記]かして、心身共に澄みきる所に、申分ない東洋的味ひがある。
 日本の香の表情は、香水とは全然ちがつたものである。香は、内にこもるもので、香水は外にひらくものである。一面からいへば、香は精神への呼びかけで、香水は肉体への呼びかけである。

    二

 香水をつけるのに、自己の体臭をかくすため、人に話しかけるため、自己の幻想をよぶためなどがあるが、その用途によつて、それぞれ選び方が違つてくる。また、人待つ部屋に、「薫衣香」などたいて主人《あるじ》の心を示すのと同様に、香水焚き(又は香水ランプ)などで香水の香気を部屋にみなぎらして人を歓び迎へる事もある。
 それから、香水の香気と線と他の化粧品の香気との関係を考慮に置くことが必要だ。
 その調和不調和によつて、香水の効果を増すことも減ずることもある。安全なのは、香水も化粧品も同じ香気で統一してゆくことだ。併《しか》し、感覚が鋭敏なら、異《ちが》つた香気のものも用ゐて巧にそこに香気の色彩楽をかなでさせることだ。
 その人の全体的感じが金属的リズムを発散させるなら、やはり金属線の表情を持つ香水を選ぶべきだ。また、風に傾く雛罌粟のリズムを出す人なら同様にかすかなゆらめきの表情を持つ香水を選ぶべきだ。
 女の人が、ある香水が好きだと思つたら、その香水を自分の精神のリズムや、肉体のリズムと比較して見るのがよい。そこに調和があればよいが、若し、矛盾する点のみなら、その香水は使用してはいけない。
 だが、ある人は云ふかも知れない。その反対の選択法がよいのだと。それは破れだ。相殺だ。蛇悪の醸成だ。
 たとへば、夕暮のソフアに倚る麗人――モダンな中に多少クラシツクな美を愛する貴婦人、この人の主観的客観的表情に合ふものは、何だらう。Wistaria の香料はどうか。すこし線がゆがんでゐるやうだ。ジヤサントなどを交《まじ》へてはどうだらう。アルベエルサマンの詩に、アンリ・ド・レニエの散文調の詩をまぜたやうなものがいいだらう。
 前と重複するやうだが、香水の表情の線を譬へてみると、処女のうぶ毛、睫毛、細い絹糸、眉毛、人絹糸、毛糸、女の頭髪、女の頸脚の毛、銀の針金等がある。

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