ネかりき。一夜「ラ、スカラ」座に入りて樂曲を聽きたり。帷《とばり》を垂れたる六層の觀棚《さじき》も、積《せき》あまりに大いにして客常に少ければ、却りて我をして一種の寂寥と沈鬱とを覺えしめき。奏する所の曲は「タツソオ[#「タツソオ」に傍線]」にして、主《おも》なる女優はドニチエツチイ[#「ドニチエツチイ」に傍線]といふものなりき。一|折《せつ》畢《をは》るごとに、客の喝采してあまたゝび幕の外に呼び出すを、愛らしき笑がほして謝し居たり。わが厭世の眼は、この笑《ゑみ》の底におそろしき未來の苦惱の濳めるを見て、あはれ此|美人《うまびと》目前に死せよ、さらば世間もこれが爲めに泣くことなか/\に少かるべく、美人も世を恨むことおのづから淺からんとおもひぬ。「バレツトオ」の舞には玉の如き穉《をさな》き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を嘔《は》くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。
 ミラノ[#「ミラノ」に二重傍線]の客舍の無聊《ぶれう》は日にけにまさり行きて、市長の家族も、親友と稱せしポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]も我書に答ふることなかりき。われは或ときは蔭多き衢《ちまた》をそゞろありきし、或ときは一室に枯坐して新に戲曲の稿を起しつ。曲の主人公はレオナルドオ・ダ・ヰンチ[#「レオナルドオ・ダ・ヰンチ」に傍線]なりき。レオナルドオの住みしは此地なり。その不朽の名畫晩餐式はこゝに胚胎《はいたい》せしなり。その戀人の尼寺の垣内《かきぬち》に隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニア[#「フラミニア」に傍線]に於ける情と古今|同揆《どうき》なりとやいはまし。
 われは日ごとにミラノ[#「ミラノ」に二重傍線]の大寺院に往きぬ。此寺はカルララ[#「カルララ」に二重傍線]の大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔《けうけつ》雪を欺《あざむ》く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角《えんかく》、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。晝その堂内に入れば、採光の程度ほゞ羅馬の「サン、ピエトロ」寺に似て、五色の窓硝子より微かに洩るゝ日光は、一種の深祕世界を幻出し、人をして唯一の神こゝに在《いま》すかと觀ぜしむ。ミラノ[#「ミラノ」に二重傍線]に來てより一月の後、我は始て此寺の屋上《やね》に登りぬ。日は石面を射て白光身を繞《めぐ》り、ここの塔かしこの龕《がん》を見めぐらせば、宛然《さながら》立ちて一の大逵《ひろば》に在るごとし。許多《あまた》の聖者《しやうじや》獻身者の像にして、下より望み見るべからざるものは、新に我|目前《まのあたり》に露呈し來れり。われは絶頂なる救世主の巨像の下に到りぬ。ミラノ[#「ミラノ」に二重傍線]全都の人烟は螺紋《らもん》の如く我脚底に畫かれたり。北には暗黒なるアルピイ[#「アルピイ」に二重傍線]の山聳え、南には稍※[#二の字点、1−2−22]低き藍色のアペンニノ[#「アペンニノ」に二重傍線]横はりて、此間を填《うづ》むるものは、唯だ緑なる郊原のみ。譬へばカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野を變じて一の花卉《くわき》多き園囿《ゑんいう》となしたらんが如し。われは眦《まなじり》を決して東のかたヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]を望みたるに、一群の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片の帛《きぬ》の風に翻弄せらるゝに似たり。われはマリア[#「マリア」に傍線]を憶ひ、ロオザ[#「ロオザ」に傍線]を憶ひ、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]を憶へり。昔幼かりし時、母とマリウチア[#「マリウチア」に傍線]とに伴はれて、ネミ[#「ネミ」に二重傍線]の湖に往きしかへるさ、アンジエリカ[#「アンジエリカ」に傍線]が我に物語りし事こそあれ。その物語は今我空想に浮び來ぬ。オレワアノ[#「オレワアノ」に二重傍線]にテレザ[#「テレザ」に傍線]といふ少女ありき。戀人なるジユウゼツペ[#「ジユウゼツペ」に傍線]が山を踰《こ》えて北の國に往きしより、戀慕の念止むことなく、日を經るに從ひて痩せ衰へぬ。フルヰア[#「フルヰア」に傍線]の老媼《おうな》はテレザ[#「テレザ」に傍線]の髮とその藏め居たりしジユウゼツペ[#「ジユウゼツペ」に傍線]の髮とを銅銚《どうてう》に投じて、奇《く》しき藥艸と共に煮ること數日なりき。ジユウゼツペ[#「ジユウゼツペ」に傍線]は他郷に在りしが、我毛髮の彼銚中に入ると齊《ひと》しく、今まで忘れ居つるテレザ[#「テレザ」に傍線]の慕はしくなりて、醒めては現《うつゝ》に其聲を聞き、寢《い》ねては夢に其姿を視、そぞろに旅のやどりを立出でゝ、おうなが銚《なべ》の下に歸りぬといふ。ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]には我髮を烹《に》る銚あるにあらねど、わがこれを憶ふ情は、恰も幻術の力の左右するところとなれるが如くなりき。われ若し山國《やまぐに》の産《うまれ》ならば、此情はやがて世に謂《い》ふ思郷病《ノスタルジア》なるべし。(歐洲人は思郷病は山國の民多くこれを患《わづら》ふとなせり。)されど又ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]のわが故郷ならぬを奈何《いかに》せむ。われは悵然《ちやうぜん》として此寺の屋上《やね》より降りぬ。
 客舍に歸れば、卓上に一封の書《ふみ》あるを見る。こはポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]が許より來れるなり。これを讀むに、袂を分ちてより第二の書を作る云々と書せり。さらば友の初の一書は我手に入るに及ばずして失はれしなるべし。ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]には何の變りたる事もあらねど、マリア[#「マリア」に傍線]は病に臥《こや》したり。その病のさま一時は性命をさへ危くすべくおもはれぬれど、今は早や恢復に近し。猶|戸外《そと》には出でずとなり。末文には、例の戲言《ざれごと》多く物して、まだミラノ[#「ミラノ」に二重傍線]の少女に擒《とりこ》にせられずや、三鞭酒《シヤンパニエ》をな忘れそなど云へり。われは讀み畢りて、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]が滑稽の天性にして、世の人のそを假面《めん》と看做《みな》すことの謬《あやま》れるを信ぜんとせり。さればこそ同じ無稽の巷説は、わがマリア[#「マリア」に傍線]を敬することロオザ[#「ロオザ」に傍線]を敬すると殊ならざるを見ながら、謬りて我をもてマリア[#「マリア」に傍線]に戀するものとなすなれ。
 われは消遣《せうけん》の爲めに市の外廓より出でゝ、武具の辻(ピアツツア、ダルミイ)を過ぎ、拿破崙《ナポレオン》の凱旋塔の下に至りぬ。世のいはゆるセムピオオネ[#「セムピオオネ」に二重傍線]の門(ポルタ、セムピオオネ)とは是なり。塔は猶未だ其工事を終らず、板がこひを繞《めぐ》らして、これに格子戸を裝ひたり。戸より入りて見れば、新に大理石もて彫《ゑ》り成せる大いなる馬二頭地上に据ゑられ、青艸《あをくさ》はほしいまゝに長じて趺石《ふせき》を掩はんと欲す。四邊《あたり》には既に刻める柱頭あり、粗《あら》ごなししたる石塊あり。許多《あまた》の工人は織るが如くに來往せり。
 時に一の旅人ありて我を距《へだた》ること數歩の處に立ち、手簿《しゆぼ》を把《と》りて導者の言を記せり、年の頃は三十ばかりなるべし。胸には拿破里《ナポリ》の勳章二つを懸けたり。此旅人の迫持《せりもち》の石柱を仰ぎ見るに及びて、我はそのベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なるを識《し》りぬ。彼方も亦直ちに我を認め得つとおぼしく、何の猶豫《ためら》ふさまもなく、我側に歩み寄りて我胸を抱き、めづらしきかな、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、われ等の相別れし夕は賑やかなりき、われ等は祝砲をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は舊《もと》の如くなるべしといひぬ。我は肌《はだへ》の粟《あは》を生ずる心地しつゝ、纔《わづか》に口を開きて、さてはベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なりしよ、圖《はか》らざりき、おん身と伊太利の北のはてなる、アルピイ[#「アルピイ」に二重傍線]山の麓にて相見んとはと答へつ。
 我等は共に歩みて新劇場の邊に往き、轉じて市《まち》の廓《くるわ》に入りぬ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は道すがら語りていふやう。汝は此地を指してアルピイ[#「アルピイ」に二重傍線]山の麓といへり。われはまことのアルピイ[#「アルピイ」に二重傍線]の巓《いただき》に登りて世界の四極《よものはて》を見たり。曩《さき》に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西《スイス》の山水を説くを聞き、一たび往いて觀んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジエノワ[#「ジエノワ」に二重傍線]を距ること遠くもあらぬを知れば、意を決して往くことゝしつ。シヤムニイ[#「シヤムニイ」に二重傍線]の谿《たに》をも渡りぬ。モンブラン[#「モンブラン」に二重傍線]の頂にも、ユングフラウ[#「ユングフラウ」に二重傍線]の頂にも登りぬ。現《げ》にユングフラウ[#「ユングフラウ」に二重傍線]は「ベルラ、ラガツツア」(美少女)なれど、かくまで冷かなる女子は復た有るべからず。これよりはジエノワ[#「ジエノワ」に二重傍線]に往きて、約束せし妻とその父母とを訪《とぶら》はんとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。汝若し我が昔日の生涯を語らず、彼の馴るゝ小鳥の事、愛らしき歌妓の事などを祕せんと誓はゞ、われは汝を伴ひてジエノワ[#「ジエノワ」に二重傍線]に往くべし。いかに、三日の後に我と共に發足せずやといひぬ。われ。否々、我は明日《あす》此地を立たんとす。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]。そは何處《いづく》へ往くにか。われ。ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に往くなり。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]。汝が漫遊の日程は、よも變更を容《ゆる》さぬにはあらざるべし。枉《ま》げて我言に從はずや。われはベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]にかく説き勸められて、反復しておのれのヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に往かざるべからざるを辯じ、果は自らこの漫然口を衝いて發せし語の、實にその故あるが如きを覺ゆるに至りぬ。
 われは客舍に返りて、不可思議なる力に役せらるゝものゝ如く、倉皇《さうくわう》我行李を整へ、あるじに明朝の發※[#「車+刃」、第4水準2−89−59]《はつじん》を告げたり。此夜は臥床《ふしど》に入れども、胸打ち騷ぎて熱を病むものゝ如く、眠をなさゞること久しかりき。翌朝ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]を訪ひて、我が爲めに善くその未來の妻に傳へんことを頼み聞え、忙はしく車を驅りてヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に向ひぬ、二月前に去りしヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に。

   心疾身病

 車はフジナ[#「フジナ」に二重傍線]に到りぬ。われは又泥深き海、衣色の石垣、「マルクス」寺の塔を望むことを得たり。怪むべし、われは足一たびヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の地を踏むと齊《ひと》しく、吾心の劇變せるを覺えき。今までヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]へ、ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]へと呼びし意欲は俄に迹《あと》を※[#「楫のつくり+戈」、第3水準1−84−66]《をさ》めて、一種の言ふべからざる羞慚《しうざん》の情生じ、人の汝は何故に復た來れると問はゞ、辭の答ふべきなからんと氣遣ふやうになりぬ。
 われは直ちに舊寓に入りて、衣服を改め、身の疲れたるをも顧みで、市長《ボデスタ》の家に往きぬ。舟の苔を被れる屋壁と高き窓とに近づくとき、怪しき映象は我胸に浮びぬ。そはわれ若しマリア[#「マリア」に傍線]が結婚の席に往きあはゞいかにといふことなりき。われは此|念《おもひ》の頭を擡《もた》げ來るを見て、又急にこれを抑へ、否、われは求婚の爲めに往くならねば、そも亦|妨《さまたげ》なしと云ひぬ。されど我心は遂に全く平《たひらか》なること能はざりき。
 門《かど》を叩けば僕《しもべ》出で
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