Gンナロ」に傍線]聲を勵《はげま》して、など※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]を捨つると叱すれども、二人は喪心せるものゝ如く、天を仰いで凝坐《ぎようざ》す。われは忽ち乘る所の舟の、木葉の旋風に弄《もてあそ》ばるる如きを覺え、暗黒なる物の左舷に迫るを視、舟は高く高く登り行けり。飛瀑の如き水は我頭上に灌《そゝ》ぎ、身は非常なる氣壓の加はるところとなりて、眼中血を迸《ほとばし》らしめんと欲するものゝ如く、五官の能既に廢して、わが絶えざること縷《いと》の如き意識は唯だ死々と念ずるのみ。われは終に昏絶《こんぜつ》せり。

   夢幻境

 わが再び眼を開きし時の光景は、今猶目に在ること、彼壯大なる火山の活畫の如く、又彼沈痛なるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の別離の記念の如し。我身を繞《めぐ》れるものは、八面皆碧色なる※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]氣《かうき》にして、俯仰《ふぎやう》の間|物《もの》として此色を帶びざるはなかりき。試みに臂《ひぢ》[#「臂」は底本では「臀」]を擧ぐれば、忽ち無數の流星の身邊に飛ぶを見る。われは身の既に死して無際空間の氣海に漂へるを覺えたり。我身は將《まさ》に昇りて天に在《ま》せる父の許《もと》に往かんとす。然るに一物の重く我頭上を壓するあり。是れ我罪障なるべし。此物はわが昇天を妨げ、我身を引いて地に向へり。而して冷なること海水の如き※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]氣《かうき》は我|顱頂《ろちやう》の上に注げり。
 われは心ともなく手を伸べて身邊を摸《も》し、何物とも知られぬながら、竪き物の手に觸るゝを覺えて、しかとこれに取り付きたり。我疲勞は甚だしく、我身には復《ま》た血なく、我骨には復た髓《ずゐ》なきに似たり。我魂は天上の法廷に招かれ、我骸《わがかばね》は海底に横《よこたは》れるにやあらん。われは纔《わづか》にアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と呼びて、又我眼を閉ぢたり。
 われはこの人事不省の境にあること久しかりしならん。既にしてわれは己れの又呼吸するを覺え、我疲勞の稍※[#二の字点、1−2−22]恢復すると共に、我意識は稍※[#二の字点、1−2−22]|鬯明《ちやうめい》なりき。我身は冷にして堅き物の上に在り。こは一の巨巖の頭なるべし。而して此巖は高く天半に聳えたるものゝ如く、彼の光ある碧色の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]氣《かうき》のこれを繞《めぐ》れる状《さま》は、前《さき》に見しと殊なることなし。天は碧穹窿をなして我を覆ひ、怪しき圓錐形の雲ありてこれに浮べり。雲の色は天と同じく碧《あを》かりき。四邊|寂《せき》として音響なく、天地皆墓穴の靜けさを現ず。われは寒氣の骨に徹するを覺えたり。われは徐《しづ》かに頭を擡《もた》げたり。我衣は青き火の如く、我手は磨ける銀《しろかね》の如し。されどこの怪しき身の虚《むなし》き影にあらずして、實《じつ》なる形なるは明《あきらか》なりき。我は疲れたる腦髓に鞭うちて、強ひて思議せしめんとしたり。われは眞に既に死したるか、又或は猶生けるか。われは手を展《の》べて身下の碧氣を探りしに、こは冷なる波なりき。されどその我手に觸れて火花を散らす状《さま》は、酒精《アルコール》の火に殊ならず。我側には怪しき大圓柱あり。その形は小なれども、略《ほ》ぼ前《さき》に見つる龍卷に似て、碧き光眼を射たり。こはわが未だ除《のぞ》かざる驚怖の幻出する所なるか、將た未だ滅《き》えざる記念の化現《けげん》する所なるか。暫しありて、われは手をもてこれを摸することを敢てしたるに、その堅くして冷なること石の如くなりき。摸して後邊に至れば、手は堅く滑なる大壁に觸る。その色は暗碧なること夜の天色の如し。
 そも/\われは何處にか在る。前に身下に積氣《せきき》ありとおもひしは、燃ゆれども熱からざる水なりき。我四圍を照すものは、彼燃ゆる水なるか、さらずば彼穹窿と巖壁と皆自ら光を放つものなるか。こは幽冥の境なるか、わが不死の靈魂の宅なるか。われは現世に此の如き境ありとおもふこと能はず。凡そ身邊の物、一として深淺種々の碧光を放たざることなく、我身も亦内より碧火を發して、その光明は十方を照すものの如し。
 身に近き處に大石級あり。琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《らうかん》もて削《けづ》り成せるが如し。これに登らんと欲すれば、巖扉|密《みつ》に鎖して進むべからず。推《すゐ》するに、こは天堂に到る階級《きざはし》にして、其門扉は我が爲めに開かざるならん。我は一人の怒を齎《もたら》して地下に入りぬ。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]はいかにしたるぞ、又二人の舟人はいかにしたるぞ。
 われは獨り此境に在り。我母を懷《おも》ひ、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]をおもひ、フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君をおもひ、我記憶の常に異ならざるを知りぬ。さればわが見る所のものは、必ず幻影に非ざるならん。我は故《もと》の我なり。只だ在るところの境の幽明いづれに屬するかを辨ずること能はざるのみ。
 彼邊の壁に罅隙《かげき》ありて、一の大なる物を安んず。手もて摸すれば銅の鉢《はち》なり。その内には金銀貨を盛りて溢れんと欲す。われは此異境の異の愈※[#二の字点、1−2−22]益※[#二の字点、1−2−22]甚しきを覺えたり。
 地平線に接する處に、我身を距ること甚だ遠からず、青光まばゆき一星ありて、その清淨なる影は波面《なみのも》に長き尾を曳けり。われは俄に彼星の、譬へば日月の蝕《しよく》の如く、其光を失ふを見たり。既にして黒き物の其前に現るゝあり。諦視《ていし》すれば、一葉の舟の、海底より湧き出でもしたらん如く、燃ゆる水の上を走り來るにぞありける。
 その漸く近づくを候《うかゞ》へば、靜かに※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を搖《うごか》すものは一人の老翁なり。※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]の一たび水を打つごとに、波は薔薇花紅《ばらいろべに》を染め出せり。舟の舳《へさき》に一人の蹲《うづくま》れるあり。その形女子《をみなご》に似たり。舟は漸く近づけども、二人は口に一語を發せず、その動かざること石人の如く、動くものは唯だ翁が手中の※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]のみ。忽ち聲ありて、一の長大息の如く、我耳に入り來りぬ。その聲は曾《かつ》て一たび聞けるものゝ如くなりき。
 舟は岸に近づきて圈《わ》を劃《ゑが》き、我が起《た》ちて望める邊《ほとり》に漕ぎ寄せられたり。翁が手は※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]を放てり。女子はこの時もろ手高くさし上げて、哀《あはれ》に悲しげなる聲を揚げ、神の母よ、我を見棄て給ふな、我は仰を畏みてこゝに來たりと云へり。われは此聲を聞きて一聲ララ[#「ララ」に傍線]と叫べり。舟中の女子は彼ペスツム[#「ペスツム」に二重傍線]古祠の畔なる瞽女《ごぜ》なりしなり。
 ララ[#「ララ」に傍線]は我に對《むか》ひて起ち、聲振り絞りて、我に光明を授け給へ、我に神の造り給ひし世界の美しさを見ることを得させたまへと祈願したり。その聲音《こわね》は尋常《よのつね》ならず、譬へば泉下の人の假に形を現して物言ふが如くなりき。我即興詩は漫《みだ》りに混沌の竅《あな》を穿《うが》ちて、少女に宇宙の美を教へき。今や少女は期《ご》せずして我前に來り、我に眼を開かんことを請《こ》へり。われは少女の聲の我心魂に徹するを覺えて、口一語を出すこと能はず、只だ手を少女の方にさし伸べたるのみ。少女は再び身を起して、我に光明を授け給へと唱へかけしが、張り詰めし氣や弛《ゆる》みけん、小舟の中にはたと伏し、舷側《ふなばた》なる水ははら/\と火花を飛しつ。
 翁は暫く身を屈して、少女のさまを覗《うかゞ》ひ居たるが、やをら岸に登りて、きと眼を我姿に注ぎ、空中に十字を書し、彼|大銅鉢《だいどうはつ》を抱いて舟中に移し、己も續いて乘りうつれり。われは思慮するに遑《いとま》あらずして、同じく舟に上りしに、翁は我を迎へんともせず、さればとて又我を拒《こば》まんともせず、只だ目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りて我を視るのみ。翁は又|※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を握りて、彼青き星に向ひて漕ぎ行けり。冷なる風は舟に向ひて吹き來れり。舟は巖窟の中に進み入りて、我等の頭は巖に觸んとす。われは身をララ[#「ララ」に傍線]の上に俯したり。忽《たちまち》にして舟は杳茫《えうばう》として涯《かぎり》なき大海の上に出でぬ。頭《かうべ》を囘《めぐら》せば、斷崖千尺、斧もて削り成せる如くにして、乘る所の舟は崖下の小洞穴より濳《くゞ》り出でしなり。
 新月の光は怪しきまでに清澄なりき。斷崖の一隅に龕《がん》の形をなしたる低き岸あり。灌木|疎《まばら》に生じて、深紅の花を開ける草之に雜《まじ》れり。岸邊には一隻の帆船を繋げるを見る。翁は小舟を其側に留めしに、少女は期する所ある如く、身を起して我に向へり。われはその手に觸るゝことをだに敢てせずして、心の裡《うち》に我が遇ふ所の夢に非ず幻に非ず、さればとて又|現《うつゝ》にも非ず、人も我も遊魂の陰界に相見るものなるべきを思ひぬ。少女は、いざ藥草を采りて給へと云ひて、右手《めて》を我にさし着けたり。われは鬼に役《えき》せらるるものゝ如く、岸に登りて彼|香《かぐは》しき花を摘み、束ねて少女に遞與《わた》しつ。この時われは堪へ難き疲を覺えて、そのまゝ地上に僵《たふ》れ臥したり。われは猶首を擡《もた》げて、翁が手快《てばや》くララ[#「ララ」に傍線]を彼帆船に抱き上げ、わが摘みし花束をも移し載せて、自らこれに乘りうつり、小舟を艫《とも》に結び付けて、帆を揚げて去るを見たり。されど我は身を起すこと能はず、又聲を出すこと能はずして、徒らに身を悶え手を振るのみ。我は死の我心《わがむね》に迫りて、心の裂けんと欲するを覺えたり。

   蘇生

 かくては性命の虞《おそれ》はあらじとは、始て我耳に入りし詞なりき。われは眼を開いてフアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]公子と夫人フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]とを見たり。されど彼語を出しゝは、我手を握りて、眞面目なる思慮ありげなる目を我面に注ぎたる未知の男なりき。我は廣闊にして敞明《しやうめい》なる一室に臥せり。時は白晝《まひる》なりき。われは身の何《いづく》の處にあるを知らずして、只だ熱の脈絡の内に發《おこ》りたるを覺えき。わがいかにして救はれ、いかにしてこゝに來しを審《つまびらか》にすることを得しは、時を經ての後なりき。
 きのふジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]とわれとの歸り來ざりしとき、人々はいたく心を苦め給ひぬ。我等を載せて出でし舟人を尋ぬるに、こも行方《ゆくへ》知れずとの事なりき。さて島の南岸に沿ひて、龍卷ありしを聞き給ひしより、人々は早や我等の生きて還らざるべきを思ひ給ひぬ。搜索の爲めに出し遣られし二艘の舟は、一はこなたより漕ぎ往き、一はかなたより漕ぎ戻りて、末遂に一つところに落ち合ふやうに掟《おき》てられしに、その舟皆歸り來て、舟も人もその踪跡《そうせき》を見ずといふ。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君は我がために涙を墮し給ひ、又ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]と舟人との上をも惜み給ひぬと聞えぬ。
 その時公子の宣給《のたま》ふやう。かくて思ひ棄てんは、猶そのてだてを盡したりといふべからず。若し舟中の人にして、或は浪に打ち揚げられ、或は自ら泅《およ》ぎ着きて、巖のはざまなどにあらんには、人に知られで飢渇の苦艱《くげん》を受けもやせん。いでわれ親《みづか》ら往いて求めんとて、朝まだきに力強き漕手《こぎて》四人を倩《やと》ひ、湊《みなと》を舟出《ふなで》して、こゝかしこの洞窟より巖のはざまゝで、名殘《なごり》なく尋ね給ひぬ。されど彼魔窟といふところには、舟人|辭《いな》
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