A一語をも出さで、刀を拔きて淺くその膚を截《き》りたり。媼はその血に筆を染めて我にわたし、「往《ゆく》拿破里《ナポリ》」と書して名を署せしめて云ふ。好し好し、法皇の封傳《てがた》に劣らぬものぞとて、懷にをさめつ。傍なる一人の男、その紙何の用にか立つべきとつぶやきしに、媼目を見張りて、蛆《うぢ》のもの言はんとするにや、大いなる足の蹂躙《ふみにじ》らんを避けよといふ。コスモ[#「コスモ」に傍線]は首《かうべ》を低《た》れて不敢《いかでか》不敢《いかでか》汝の命は神璽《しんじ》靈寶にも代へじといひき。人々と媼との物語はこれにて止み、卓を圍める一座の興趣は漸くに加はりて、瓶《へい》は手より手にと忙はしく遣り取りせらるゝことゝなりぬ。さて食を供するに至りて、賊の中にはわが肩を敲きて、皿に肉塊を盛りて呉るゝもありき。唯だ彼媼は故《もと》の如く、室隅に坐して、飮食の事には與《あづか》らざりき。賊の一人は火をその坐のめぐりに添へて、大母よ、汝は凍《こゞ》ゆるならんといひき。我は媼の詞につきて熟※[#二の字点、1−2−22]《つら/\》おもふに、むかし母とマリウチア[#「マリウチア」に傍線]とに伴はれて
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