Bこの文認め候は、君に見えてより數時間の後に候へども、君のこれを讀ませ給はんは、數月の後なるべきか、或は又月を踰《こ》えざるべきかとも存ぜられ候。世の人の言に、われとわが姿に出で逢ひしものは、遠からずして死すと申候へば、わが常の心の願にて、我心と同じものになり居たる君に逢ひまゐらせたるは、我死期の近づきたるしるしなるべくやなど思ひつゞけ※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144−上−20]。いかなれば我心は君をえ忘れず、いかなれば君は我心と化し給ひて、幸ある時も、禍《わざはひ》に逢へる時も、君は我心を離れ給はざりけん。今より思ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らし候へば、そは君が世に棄てられたるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を棄て給はぬ唯一の恩人にましませばならんと存《ぞんじ》※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144−上−26]。されど君の今に至りて猶我身を棄て給はざる御恩は、決して故なき人の上に施し給ひしには候はずと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144−上−29]。君の此文を見給はん時は、私は世に亡き人なるべければ、今は憚《はゞか》ることなく申上候はん。君は我戀人にておはしまし候ひぬ。我戀人は、昔世の人にもてはやされし日より、今またく世の人に棄て果てられたる日まで、君より外には絶て無かりしを、聖母《マドンナ》は、現世《うつしよ》にて君と我との一つにならんを許し給はで、二人を遠ざけ給ひしにて候。君の我身を愛し給ふをば、彼の不幸なる日の夕に、彈丸《たま》のベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線][#「ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]」は底本では「ベルナドオ[#「ベルナドオ」に傍線]」]を傷けし時、君が打明け給ひしに先だちて、私は疾《と》く曉《さと》り居り候ひぬ。さるを君と我とを遠ざくべき大いなる不幸の、忽ち目前《まのあたり》に現れたるを見て、我胸は塞《ふさ》がり我舌は結ぼれ、私は面を手負《てをひ》の衣に隱しゝ隙《ひま》に、君は見えずなり給ひぬ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の痍《きず》は命を隕《おと》すに及ばざりしかば、私は其治不治生不生の君が身の上なるべきをおもひて、須臾《しゆゆ》もベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の側を離れ候はざりき。憶ふに、此時のわが振舞は君に疑はれまゐらせしことのもとにや候ふべき。私は久しく君の行方を知らず、人に問へども能く答ふるもの候はざりき。數日の後、怪しきおうな尋ね來て、一ひらの紙を我手にわたすを見れば、まがふ方なき君の手跡にて、拿破里《ナポリ》に往くと認《したゝ》めあり、御名をさへ書添へ給へれば、おうなの云ふに任せて、旅行劵と路用の金とをわたし候ひぬ。旅行劵はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に仔細を語りて、をぢなる議官《セナトオレ》に求めさせしものに候、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は事のむづかしきを知りながら、我言を納《い》れて、強ひてをぢ君を説き動しゝ趣に候。幾《いくばく》もあらぬに、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が痍《きず》は名殘《なごり》なく癒《い》え候ひぬ。彼人も君の御上をば、いたく氣遺《きづかひ》居たれば必ず惡しき人と御思ひ做《な》しなさるまじく候。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は痍の痊《い》えし後、我身を愛する由聞え候ひしかど、私はその僞ならぬを覺《さと》りながら、君をおもふ心よりうべなひ候はざりき。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は羅馬を去り候ひぬ。私は直ちに拿破里をさして旅立候ひしに、君も知らせ給ひし友なるおうなの俄に病み臥《こや》しゝ爲め、モラ、ヂ、ガエタ[#「モラ、ヂ、ガエタ」に二重傍線]に留まること一月ばかりに候ひき。かくて拿破里に着きて聞けば、私の着せし前日の夜、チエンチイ[#「チエンチイ」に傍線]といふ少年の即興詩人ありて、舞臺に出でたりと申噂に候。こは必ず君なるべしとおもひて、人に問ひ糺《たゞ》し候へば、果してまがふかたなき我戀人にておはしましき。友なるおうなは消息して君を招き候ひぬ。こなたの名をばわざとしるさで、旅店の名をのみしるしゝは、情ある君の何人の文なるをば推し給ふべしと信じ居たるが故に候ひき。おうなは再び文をおくり候ひぬ。されど君は來給はざりき。使の人の文をば讀み給ひぬといふに、君は來給はざりき。剩《あまつさ》へ君は遽《にはか》に物におそるゝ如きさまして、羅馬に還り給ひぬと聞き候ひぬ。當時君が振舞をば、何とか判じ候ふべき。私は君の誠ありげなる戀のいち早くさめ果てしに驚き候ひしのみ。私とても、世の人のめでくつがへるが儘に、多少驕慢の心をも生じ居たる事とて、思ひ切られぬ君を思ひ切りて、獨り胸をのみ傷《いた》め候ひぬ。さる程に友なるおうなみまかり、その同胞《はらか
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