》さしてこれに入らんとせば、帆を卸《おろ》し頭を屈するも、猶或は難からんか。柁《かぢ》取りの年|少《わか》き男のいふやう。これ魔窟なり。黄金珠玉その内にみち/\たれど、これを探らんとするものは妖火のために身を焚《や》かる。げにいふだに恐ろしき事なり。尊きルチア[#「ルチア」に傍線]よ、(サンタ、ルチア)我を護り給へといふ。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]。彼妙音の女怪の一人此舟の中に來ぬこそ殘惜しけれ。その容色はいと好しとぞ聞く。さるものを待遇せんは、わが徒《ともがら》の難《かた》んぜざるところぞ。われ。おほよそ女といふ女のおん身の言に從はぬはあらざるべければ、化《け》しやうのものなりとも、其數には洩れぬなるべし。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]。接吻し囘抱するは波濤《はたう》の常態なれば、その上に泛《うか》べるものも之に倣《なら》ふべき筈ならずや。責《せめ》ては彼アマルフイイ[#「アマルフイイ」に二重傍線]の女房をなりとも、共に載せて來べかりしものを。げに得易からぬ女なり。然《しか》おもひ給はずや。おん身も一たびは彼唇の味を試み給ひぬ。われはその人前にておとなしぶりたるを怪しとおもふなり。憾《うら》むらくはおん身はその夜のさまを見給はざりき。その迎ふる情の熱さは我が送る情の熱きに讓らざりき。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]が此詞は遂に我をして耐へ忍ぶこと能はざらしむるに至りぬ。我はいと冷かに、されどわが彼《かの》夕見しところは、いたくおん詞と違《たが》へりといひぬ。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]は驚きたる面持《おももち》して、暫し我顏を打ち守りつゝ、何とかいふ、おん身の詞は解《げ》し難しと問ひ返しつ。われ重ねて、おん身の女子にもてはやされ給ふべきをば、われ露ばかりも疑はねど、彼夕はわれふと同じ處に落ち合ひてまことのさまを目撃したり、さればわれは始よりおん身の詞の戲言《ざれごと》なるべきを知りぬといふ。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]は猶|訝《いぶか》しげに我顏を見て一語をも出さゞりき。われ微笑《ほゝゑ》みつゝジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]が前夜の口吻を眞似《まね》て、おん身のけふ我に惜みて彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取返さでは歸らずといひたり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]の面は血色全く失せて、さてはおん身は立聞せしか、おん身は我を辱《はづかし》めたり、我と決鬪せよといふ。其聲|極《きはめ》て冷《ひやゝか》に、極てあらゝかなりき。わが實を述べたる一語の、此の如く渠《かれ》を激せんことは、わが預期せざる所なりき。われは徐《しづ》かに、ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]よ、そはよも眞面目なる詞にはあらじといひて、其手を握りしに、ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]は手を引き面を背《そむ》け、舟人に陸《くが》に着けよと命ぜり。老いたる方の漕手答へて、舟を停むべきところは、さきに漕ぎ出でしところの外|絶《たえ》て無ければ、是非とも島を一周せでは叶はずといひつゝ、※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を搖《うごか》す手を急にしたり。舟は深碧の水もて繞《めぐら》されたる高き岩窟《いはや》に近づきぬ。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]は杖を揮《ふる》ひて舷側の水を打てり。われは且怒り且悲みて、傍より其面を打ち目守《まも》りぬ。爾時《そのとき》年|少《わか》き漕手いと慌《あわた》だしく、龍卷(ウナ、トロムバ)と叫べり。その瞠視《みつめ》たる方を見れば、ミネルワ[#「ミネルワ」に二重傍線]の岬より起りて、斜に空に向ひて竪立《じゆりつ》せる一道の黒雲あり。形は圓柱の如く、色は濃墨の如し。その四邊《あたり》の水、恰も鍋中の湯の滾沸《こんふつ》せるが如くなり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]はいづかたに避くるかと問へり。少年は後々《あと/\》といへり。われ。されば又全島を巡らんとするか。少年。風なき方の岩に沿うて漕がん。龍卷は島を離れて走る如し。翁。此小舟の若し岩に觸れて碎けずば幸なり。語未だ畢らず、龍卷の嚮《むき》は一轉せり。一轉して吾舟の方に進めり。その疾《と》きこと※[#「風にょう+(犬/(犬+犬))、第4水準2−92−41]風《へうふう》の如し。舟若し高く岩頭に吹き上げられずば、必ず岩根に傍《そ》ひて千尋《ちひろ》の底に壓《お》し沈めらるべし。われは翁と共に※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を握りつ。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]も亦少年を扶《たす》けて働けり。されど風聲は早く我等の頭上に鳴りて、狂瀾は既に我等の脚下に翻《ひるがへ》れり。二人の漕手は異口同音に、尊きルチア、助け給へと叫びつゝ、※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]を捨てゝ跪拜せり。ジエンナロ[#「ジ
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