A亞弗利加《アフリカ》の岸なり。ゆん手の方は巖石屹立したる伊太利の西岸にして、所々に大なる洞穴あり。洞前に小村落あるものは、其幾個の人家、わざと洞中より這ひ出でゝ、背を日に曝《さら》すものゝ如く、洞の直ちに水に臨めるものゝ前には漁人の火を焚き食を調へ又は小舟に※[#「父/多」、第4水準2−80−13]兒《チヤン》を塗れるあり。
舷下の水は碧《あを》くして油の如し。試みに手をもて探れば、手も亦水と共に碧し。舟の影の水に落ちたるは極て濃き青色にして、艪《ろ》の影は濃淡の紋理ある青蛇を畫けり。われは聲を放ちて叫びぬ。げに美しきは海なる哉。若し彼蒼《ひさう》の大いなるを除かば、何物か能く之と美を※[#「女+貔のつくり」、110−上段−20]《くら》ぶべき。我は幼かりし時、地に仰臥して天を觀つるを思ひ出でぬ。今見る所の海は即ち當時見し所の天にして、譬へば夢の一變して現《うつゝ》となれるが如し。
舟はイ、ガルリ[#「イ、ガルリ」に二重傍線]といふ巖より成れる三|小嶼《せうしよ》の傍を過ぎぬ。そのさま海底より石塔を築き上げて、その上に更に石塔を僵《たふ》し掛けたる如し。青き波は緑なる石を洗へり。想ふに風雨一たび到らば、このわたりは群狗《ぐんく》吠ゆてふ鳴門《なると》(スキルラ)の怪《くわい》の栖《すみか》なるべし。
不毛にして石多きミネルワ[#「ミネルワ」に二重傍線]の岬《みさき》は、眠るが如き潮《うしほ》これを繞《めぐ》れり。いにしへ妙音の女怪の住めりきといふはこゝなり。而してカプリ[#「カプリ」に二重傍線]の風流天地はこれと相對せり。いにしへチベリウス[#「チベリウス」に傍線]帝が奢《おごり》をきはめ情を縱《ほしいまゝ》にし、灣頭より眸を放ちて拿破里《ナポリ》の岸を望みきといふはこゝなり。
舟人は帆を揚げたり。我等は風と波とに送られて、漸くカプリ[#「カプリ」に二重傍線]の島邊に近づきぬ。水のまことの清さ、まことの明《あか》さを知らんと欲せば、この海を見ざるべからず。舷に倚りて水を望めば、一塊の石、一叢の藻、歴々として數ふべく、晴れたる日の空氣といへども、恐らくはこの玲瓏《れいろう》透徹なからんとぞおもはるゝ。
カプリ[#「カプリ」に二重傍線]の島は唯だ一面の近づくべきあるのみ。その他は皆|削《けづ》り成せる斷崖にして、その地勢拿破里に向ひて級を下るが如く、葡萄圃と橘柚《オレンジ》橄欖《オリワ》の林とは交る/″\これを覆へり。岸に沿へる處には、數軒の蜑戸《たんこ》と一棟《むね》の哨舍《ばんごや》とを見る。稍※[#二の字点、1−2−22]《やゝ》高き林木の間に、屋瓦の叢《そう》を成せるはアンナア、カプリイ[#「アンナア、カプリイ」に二重傍線]の小都會なり。一橋一門ありてこれに通ず。一行は棕櫚《しゆろ》の木立てるパガアニイ[#「パガアニイ」に二重傍線]が酒店の前に歩を留めつ。
我等はこゝに朝餐《あさげ》して、公子夫婦は午時《ひるどき》まで休憩し、それより驢《うさぎうま》を倩《やと》ひてチベリウス[#「チベリウス」に傍線]帝の別墅《べつしよ》の址《あと》を訪はんとす。われは憩はんこゝろなければ、ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]と共に此島を一周し、南に突き出でたる大石門をも見ばやとて、漕手二人を呼び、岸なる舟に乘り遷《うつ》りぬ。
風少し起りたれば、我等は行程の半ばばかり帆の力に頼ることを得べし。巖壁に近き處には、漁人の網を張りたるあれば、舟はこれを避けて沖の方に進みぬ。既にして奇景の人目を驚すに足るものあるを見る。灰色なる巨石の直立すること千丈なるあり。その頂は天を摩し、所々僅に一石塊を容《い》るべき罅隙《かげき》を存じて、蘆薈《ろくわい》若くは紫羅欄《あらせいとう》これに生じたり。青き焔の如き波に洗はれたる低き岩根には、紅殼《べにがら》の毛星族《まうせいぞく》(クリノイデア)いと繁《しげ》く着きたるが、その紅の色は水を被《かぶ》りて愈※[#二の字点、1−2−22]紅に、岩石の波に觸れて血を流せるかと疑はる。
既にして我等は海を右にし島を左にする處に至りぬ。水を呑吐する大小の窟《いはや》許多《あまた》ありて、中には波の返す毎に僅かに其天井を露《あらは》すあり。こは彼妙音の女怪のすみかにして、草木繁茂せるカプリ[#「カプリ」に二重傍線]の島は唯だこれを蓋《おほ》へる屋上《やね》たるに過ぎざるにやあらん。
漕手の一人なる白髮の翁のいふやう。這裏《このうち》には惡しきもの住めり。人若し過《あやま》ちて此門に入るときは、多くは再びこれを出づることを得ず。その或は又出づるものは、痴なるが如く狂せるが如く、復《ま》た尋常人間の事を解せずといふ。往手《ゆくて》のかたに稍※[#二の字点、1−2−22]大なる一窟あり。されど若し舟に棹《さ
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