ゥりけんと思はるゝ、さたすぎたる婦人の服飾美しく面に紅粉を施せるが、痩せたる掌に骨牌《かるた》緊《きび》しく握り持ちて、鷙鳥《にへどり》の如き眼を卓上の黄金に注ぎたるなり。若く美しき女子も二人《ふたり》三人《みたり》見えたるが、その周匝《めぐり》には少年紳士|群《むらが》り立ちて、何事をか語るさまなりき。老若いづれはあれど、皆嘗て能く人の心を動《うごか》しゝ人の、今は他の心文牌《キヨオル》に目を注ぐやうになりしなるべし。
 稍※[#二の字点、1−2−22]狭き室に紅緑に染め分けたる一卓あり。客は柱文銀(「コロンナアトオ」といふ、その文樣《もんやう》に依りて名づく、我二圓十五錢|許《ばかり》に當る)一塊若くは數塊を一色の上に置く。球ありて此卓上を走り、その留まる處の色は、賭者をして倍價の銀を贏《か》ち得しむ。傍より覗《うかゞ》ふに、その速《すみやか》なることは我脈搏と同じく、黄白の堆《たい》は忽ち卓に上り又忽ち卓を下る。われは覺えず兜兒《かくし》を搜りて一塊の柱文銀を取り、漫然卓上に擲《なげう》ちたるに、銀は紅色の上に駐《とゞ》まれり。監者は我面を注視して、其色の意に適《かな》へりや否やを問ふものゝ如し。われは又覺えず頷きたり。球は走り、我銀は二塊となりぬ。われはこれを收むるを愧《は》ぢて、銀を其處に放置せり。球は走り又走りて、銀の數は漸く加りぬ。運命は我に與《くみ》するにやあらん。銀の嵩《かさ》は次第に大いになりて、金貨さへその間に輝けり。われは喉※[#「口+龍」、第4水準2−4−48]《のど》の燃ゆるが如きを覺えたれば、葡萄酒一杯を買ひてこれに灌《そゝ》ぎつ。黄白の山はみる/\我前に聳《そび》えたり。忽ち球は我色に背きて、監者は冷かに我銀の山を撈《さら》ひ取りぬ。われは夢の醒めたる如くなりき。我がまことに失ひしは柱文銀一つのみと、獨り自ら慰めて次の室に入りぬ。
 こゝには數人の少女《をとめ》あり。中なる一人の姿|貌《かほばせ》は宛然たるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なるが、只だ身幹《みのたけ》高く稍※[#二の字点、1−2−22]肥えたるを異なりとす。われは暫くこれに注目せしに、少女は我前に歩み寄りて、傍なる小卓を指し、おん敵手《あひて》にはなるまじけれどと耳語《さゝや》きたり。わが輕く辭《いな》みて數歩を退《しりぞ》き去るを、少女は訝《いぶ》かしげに見送り居たり。
 奧の詰《つめ》なる室には、少年紳士等打寄りて撞球戲《たまつき》をなせり。婦人も幾人《いくたり》か立ち雜《まじ》りたるに、紳士中には上衣を脱ぎたるあり。われは初め此社會の風儀のかくまで亂れたるをば想ひ測《はか》らざりしなり。入口の戸に近く、此方《こなた》に背を向けて撞杖《キユウ》を揮へる丈《たけ》高き一男子あり。今の撞《つ》きざまや巧なりけん、人々喝采せしに、前《さき》に我に骨牌を勸めし少女も彼男子の面を覗きて、笑みつゝ何事をかさゝやきたり。男は振り向きざまにその頬に接吻し、女は嬌嗔《けうしん》してその男を打てり。われは遙に彼男の横顏を望み見て慄慴《りつせふ》せり。そはその餘りにベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に肖《に》たるが爲めなり。われは進みてこれに近づくべき膽力なかりき。されどその眞のベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なりや否やを知らんことの願はしければ、傍にほの暗き室の戸の開きありたるを見て、我より窺ふべく彼より見るべからざらしめんために、壁に沿ひて徐《しづか》に歩み、そとこれに進み入れり。天井には紅白の硝子燈を弔《つ》りたれど、わざと明闇|相半《あひなかば》して處々蔭多からしめたり。室は假の庭園なり。薄片鐵《ブリキ》を塗りて葉となしたる蔓艸《つるくさ》は、幾箇のさゝやかなる亭《あづまや》に纏ひ附きて、その間には巧に盆栽の橘柚《オレンジ》等を排《なら》べたり。亭の前なる梢には剥製の鸚鵡《あうむ》の止《と》まりたるあり。冷なる風は窓より入りて、自奏器の樂聲人の眠を催さんとす。
 わが此裝置を一瞥し畢《をは》りし時、彼のベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に肖《に》たる男はこなたに向ひて足の運び輕げに歩み來たり。われは思慮を費すに遑《いとま》あらずして、近き亭《あづまや》の内に濳みしに、男は面《おもて》に笑《ゑみ》を湛へて閾上《よくぢやう》に立ち留まりぬ。その面は恰も我方へ眞向《まむき》になりたるが、われはそのまがふ方なきベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なることを認め得たり。渠《かれ》は隣なる亭に歩み入り、長椅《ヂノワ》に身を投げ掛けて、微かに口笛を鳴し居たり。我胸裏には萬感|叢起《さうき》せり。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]こゝに在り。我と他《かれ》と咫尺《しせき》す。われはかく思ふと共に、身うちの悉く震《ふる》
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