ヘ》る。平地の中央に圓錐形の灰の丘あり。是れ火坑の堤なり。火球の如き月は早く昇りて、此丘の上に懸れり。我等の來路に此月を見ざりしは、山のために遮られぬればなり。忽ちにして坑口黒烟を噴き、四邊闇夜の如く、山の核心と覺しき處に不斷の雷聲を聞く。地震ひ足危ければ、人々相|倚《よ》りて支持す。忽ち又千百の巨※[#「石+駮」、第3水準1−89−16]《きよはう》を放てる如き聲あり。一道の火柱直上して天を衝き、迸《ほとばし》り出でたる熱石は「ルビン」を嵌《は》めたる如き觀をなせり。されど此等の石は或は再び坑中に沒し、或は灰の丘に沿ひて顛《ころが》り下り、復た我等の頭上に落つることなし。われは心裡に神を念じて、屏息《へいそく》してこれを見たり。
兵卒は、客人《まらうど》達は山の機嫌好き日に來あはせ給ひぬとて、我等を揮《さしまね》きて進ましめたり。われは初めその何處に導くべきかを知らざりき。火を噴ける坑口は今近づくべきにあらねばなり。導者は灰の丘を左にして進まんとす。忽ち見る。我等の往手に火の海の横れるありて、身幹《みのたけ》數丈なる怪しき人影のその前にゆらめくを。これ我等に前だてる旅客の一群なり。我等は手足を動《うごか》して熔岩の塊を避けつゝ進めり。色|褪《あ》せたる月の光と松明《まつ》の光とは、岩の隈々《くま/″\》に濃き陰翳を形《かたちづく》りて、深谷の看《かん》をなせり。忽ち又例の雷聲を聞きて、火柱は再び立てり。手もて探りて漸く進むに、石土の熱きを覺ゆるに至りぬ。巖罅《がんか》よりは白き蒸氣|騰上《たうじやう》せり。既にして平滑なる地を見る。こは二日前に流れ出でたる熔岩なり。風に觸るゝ表層こそは黒く凝りたれ、底は猶紅火なり。この一帶の彼方には又常の石原ありて、一群の旅客はその上に立てり。導者は我等一行を引きて此|火殼《くわかく》を踐《ふ》ましめたるに、足跡|炙《あ》ぶるが如く、我等の靴の黒き地に赤き痕《あと》を印するさま、橋上の霜を踏むに似たり。處々に斷文ありて、底なる火を透し見るべし。我等は凝息《ぎやうそく》して行くほどに、一英人の導者と共に歸り來るに逢ひぬ。渠《かれ》、汝等の間に英人ありやと問ふに、われ、無しと答ふれば、一聲|畜生《マレデツトオ》と叫びて過ぎぬ。
我等は彼旅客の群に近づきて、これと同じく一大石の上に登りぬ。此石の前には新しき熔岩流れ下れり。譬へば金の熔爐より出づる如し。其幅は極めて闊《ひろ》し。蒸氣の此流を被へるものは火に映じて殷紅《あんこう》なり。四圍は暗黒にして、空氣には硫黄の氣滿ちたり。われは地底の雷聲と天半の火柱と此流とを見聞《みきゝ》して、心中の弱處病處の一時に滅盡するを覺えたり。われは胸前《むなさき》に合掌して、神よ、詩人も亦汝の預言者なり、その聲は寺裏に法を説く僧侶より大なるべし、我に力あらせ給へ、我心の清きを護り給へと念じたり。
われ等は歸途に就《つ》きたり。此時身邊なる熔岩の流に、爆然聲ありて、陷穽《かんせい》を生じ炎焔《ほのほ》を吐くを見き。されどわれは復《ま》た戰《をのゝ》き慄《ふる》ふことなかりき。一行は積灰の新に降れる雪の如きを蹴《け》て、且滑り且降るほどに、一時間の來路は十分間の去路となりて、何の勞苦をも覺えざりき。われもフエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]も心に此遊の徒事ならざりしを喜びあへり。驢に乘りて草寮《こや》に至れば、博士は踞座して我等を待てり。促し立てゝ共に出づるに、風|斂《をさま》り月明かなり。拿破里《ナポリ》灣に沿ひて行けば、熔岩の赤き影と明月の青き影と、波面に二條の長蛇を跳らしむ。聞説《きくな》らく、昔はボツカチヨオ[#「ボツカチヨオ」に傍線]涙をヰルギリウス[#「ヰルギリウス」に傍線]の墳《つか》に灑《そゝ》ぎて、譽を天下に馳せたりとぞ。われ韮才《ひさい》、固《もと》よりこれに比すべきにあらねど、けふヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山の我詩思を養ひしは、未だ必ずしもむかし詩人の墳のボツカチヨオ[#「ボツカチヨオ」に傍線]の天才を發せしに似ずばあらず。
博士はわれ等を誘ひて其家にかへりぬ。われは前度の別をおもひて、サンタ[#「サンタ」に傍線]夫人との應對いかがあらんと氣遣ひしに、夫人の優しく打解けたるさまは、毫も疇昔《ちうせき》に異ならざりき。夫人はわが即興の手際を見んとて、こよひの登山を歌はせ、辭《ことば》を窮《きは》めて我才を讚めたり。
嚢家
サンタ[#「サンタ」に傍線]のわれに優しきことは昔に變らず。されど人なき處にてこれと相見んことの影護《うしろめ》たくて、若しフエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]の共に往かざるときは、必ず人の先づ集《つど》ひたらん頃を待ちて、始ておとなふこととなしつ。現《げ》にあやしきものは人の心なり。曾て心にだに留《
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