ゥ》ひ、短歌《アリア》を唱《うた》ひ出せり。その曲は偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]がヂド[#「ヂド」に傍線]に扮して唱ひしものと同じけれども、その力を用ゐる多少と人を動《うごか》す深淺とは、固《もと》より日を同うして語るべきならず。われは只だ衆のなすところに傚《なら》ひて、共に拍手したるのみ。少女《をとめ》は又輕快なる舞の曲を彈じ出せり。男客《をとこきやく》の三人四人は、急に傍《かたはら》なる婦人を誘《いざな》ひて舞ひはじめたり。われは避けて、とある窓龕《さうがん》に躱《かく》れたり。
 初めわれは席に入りしとき、痩せたる小男の眼鏡懸けたるが、忙《せは》しげに此間に出入するを見たり。この男わが窓龕にかくれしを見て、我前に立ち留まり、慇懃《いんぎん》なる禮をなせり。われはその何人なるを知らねども、姑《しばら》く共に語らばやとおもひて、ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山の噴火の事を説き、その熔巖の流れ下る状《さま》など、外より來るものゝ目を驚かす由を云ひたり。小男の答ふるやう。否。今の噴火の景などは言ふに足らず。プリニウス[#「プリニウス」に傍線]の書《ふみ》に見えたる九十六年の破裂は奈何《いかゞ》なりけん。灰はコンスタンチノポリス[#「コンスタンチノポリス」に二重傍線]にさへ降りしなり。近き年の破裂の時も、我等拿破里人は傘さして行きしが、均《ひと》しく灰降るといふも、拿破里に降るとコンスタンチノポリス[#「コンスタンチノポリス」に二重傍線]に降るとは殊なり。何事によらず、今の世は遠く古の希臘《ギリシア》羅馬《ロオマ》の世に及ばずと知り給へ。澆季《げうき》の世は古に復さんよしもなしと、かこち顏なり。われ芝居話に轉ずれば、彼は遠くテスピス[#「テスピス」に傍線]の車に遡《さかのぼ》りて、(世に傳ふ、テスピス[#「テスピス」に傍線]は前五四〇年頃の雅典人《アテエンびと》にして、舞臺を車上にしつらひ、始て劇を演じたりと)希臘俳優の被《かぶ》りぬといふ、悲壯劇の假面と滑稽劇との假面とを列擧せり。われ又近頃|禁軍《このゑ》の檢閲ありしを聞きつと噂すれば、彼は希臘の兵制を論じて、マケドニア[#「マケドニア」に二重傍線]歩兵の方陣《フアランクス》の操錬を細敍すること目撃の状《さま》の如くなり。既にして彼は我に考古學又は美術史を研究し給ふやと問ひぬ。われ答へて、己れは専門の學をなさずと雖、凡そ宇宙の事は一として我研究の資料ならぬはなし、己れは詩人たらんと心掛くるなりと云へば、彼手を拍ちて喜び、ホラチウス[#「ホラチウス」に傍線]が句を朗誦し、我琴を以てヨヰス[#「ヨヰス」に傍線]の神の龜甲琴《リラ》に比したり。
 忽ちサンタ[#「サンタ」に傍線]我前に來て云ふやう。さては終に生捕《いけど》られ給ひしよ。おん身等の物語は、定めてセソストリス[#「セソストリス」に傍線]時代の事なるべし。(希臘傳説に見えたる埃及《エヂプト》王の名なり。前十四五紀の間の名ある王二人の上を混じて説けり。)客人《まらうど》には現世の用事あり。かしこに少《わか》き貴婦人の敵手《あひて》なくて寂しげなるあり。願はくは誘ひ出して舞の群に入り給へとなり。われ逡巡《しりごみ》して、否われは舞ふこと能はず、曾《かつ》て舞ひしことなしと答ふれば、サンタ[#「サンタ」に傍線]重ねて、家のあるじたる我身おん身に請はゞ奈何《いかに》といふ。われ。まことに濟まぬ事ながら、われ若し強ひて踊り出でば、おのれ一人|跌《つまづ》き轉ぶのみならず、敵手の貴婦人をさへ拉《ひ》き倒すならん。夫人打ち笑ひて、そは好き見ものなるべしといひつゝ、フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]の方に進み近づき、直ちに伴ひて舞の群に入りぬ。小男は我を顧みて、氣輕なる女なり、されど貌《かほ》は醜からず、さは思ひ給はずやといふに、我はまことに仰《おほせ》の如く、めでたき姿なりと讚め稱《たゝ》へき。此よりいかなる話の運《はこび》なりしか知らねど、我等二人は忽ち又古のエトルリヤ[#「エトルリヤ」に二重傍線]人(昔羅馬の北に住みし民)の遺しゝ陶器《すゑもの》の事を論ぜざるべからざることゝなりぬ。彼は此地の聚珍館内なる瓶《へい》又は壺の數々を擧げて、これに畫きし畫工に説き及ぼし、次いでその畫工の技巧を辯明したり。此等の陶畫《すゑものゑ》は、皆濕に乘じて筆を用ゐるものなれば、一點一畫と雖、漫然これを下すべきにあらずなど云へり。彼は猶其|詳《つまびらか》なるを教へんために、不日我を聚珍館に連れ往かんと約せり。
 夫人は再び我前に來て、さては論文はまだ結局とならぬにや、以下次號とし給へと呼び、急に我手を把《と》りて拉《ひ》き去りつゝ、聲を低うして云ふやう。おん身は餘りに人|好《よ》きには
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