Bげに/\廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたる巖《いはほ》の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅《あんこう》なり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬間なりき。車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前に駐《と》まりぬ。店の隣には、小き傀儡場《くゞつば》あり。一人ありてその前に立ち、道化役《プルチネルラ》の偶人《にんぎやう》を踊らせ、且泣き且笑ひ、又|可笑《をか》しき演説をなさしめたり。衆人は環《めぐ》り視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅|闊《ひろ》く逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて説教せり。此方《こなた》には聽衆いと少し。
 僧は目を瞋《いか》らして傀儡師の方を見やりて云ふやう。斯くても精進日《せじみび》なるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達《なんたち》がためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭《カルネワレ》ならぬはなし。斯く跳《をど》り狂ひ笑み戲《たはむ》れて、一歩一歩地獄に進み近づくなり。疾《と》く奈落の底に往きて狂ひ戲れよといふ。僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里|訛《なまり》を聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈※[#二の字点、1−2−22]大なれば、偶人《にんぎやう》の跳ること愈※[#二の字点、1−2−22]忙しく、群衆は舊に依りて傀儡師に面し談義僧に背《そむ》けり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の間に分け入りたり。見よ/\。これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの教を聽かんためなり。「キユリエ、エレイソン」(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)とぞ唱へける。聖像は流石《さすが》人に敬を起さしめて、四圍《あたり》の群衆忽ち跪《ひざまづ》けば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。
 われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]は夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、その軟《やはらか》き兩臂は俄に我|頸《うなじ》を卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。

   慰籍

 友の眠に就きし後、われは猶|※[#「宀かんむり/浸」、第4水準2−8−7]《やゝ》久しく出窓に坐して、外《と》の方《かた》を眺め居たり。こゝよりは啻《たゞ》に廣こうぢの隈々《くま/″\》迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山さへ眞向《まむき》に見えたり。夢の裡《うち》に移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易《たやす》く臥床《ふしど》に上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火《ともしび》の數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。
 ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山の姿は譬《たとへ》ば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅《あんこう》なる雲の一群《ひとむら》はその木の巓《いたゞき》、谷々を流れ下る熔巖《ラワ》はその闊《ひろ》く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神と面《おも》相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤《きようじゆつ》、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷《じんらい》風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮《おと》すことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導《ふえききやうだう》の絲は分明《ぶんみやう》に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍《わざはひ》を轉じて福《さいはひ》となし給へる迹《あと》は掩《おほ》ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪《うしな》ひまゐらせき。されど故《わざ》とならぬ其罪を贖《あがな》はんとてこそ、車上の貴人《あてびと》は我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]とペツポ[#「ペツポ」に傍線]とのわが身を爭ひて、わが全く寄邊《よるべ》なき身の上となりしは、寔《まこと》に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の曠野《あらの》に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭《いか》でか我を認め得給はん。此の如く因果の鐺《くさり》を手繰《たぐ》りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]との上なり。ベルナルドオ[#
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