ュ紅に染まりゆきて、山々の色の青|天鵝絨《びろうど》の如くなるを視き。偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》山腹に火を焚くものあり。その黄なる※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]は晴天の星の如くなりき。われは覺えず驢背に合掌して、神の惠の大なるを謝したり。
われは漸くにして媼の賜《たまもの》を見ることを得き。その一通の文書は羅馬《ロオマ》警察|衙《が》の封傳《てがた》にして、拿破里《ナポリ》公使の奧がきあり。旅人の欄には分明に我氏名を注したり。一通は又拿破里フアルコネツトオ[#「フアルコネツトオ」に傍線]銀行に振り込みたる爲換《かはせ》金五百「スクヂイ」の劵なり。これに添へたる紙片に二三行の女文字あり。手負ひたる人の上をば、みこゝろ安く思されよ。遠からぬ程に癒《い》ゆべしと申すことに侍り。されどしばらくは羅馬に歸り給はぬこそよろしく侍らめとあり。フルヰア[#「フルヰア」に傍線]は我を欺かざりき。わがためには、これに増す神符あらじとおもひぬ。
道は少し夷《たひらか》になりぬ。とみれば一群の牧者あり。草を藉《し》きて朝餉《あさげ》たうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。水牛の乾酪と麪包《パン》とにて飮ものには驢の乳あり。われは快く些の食事をしたゝめしに、馬夫《まご》は手まねして別を告げたり。さて牧者のいふやう。この徑《こみち》を下りゆき給へ。只だ山を左に見て行き給はゞ、小河の流に逢ひ給はん。そは山より街道に出づる水なり。霧晴れなば、そこより街※[#「木+越」、第3水準1−86−11]《なみき》の長く續けるを見給ふならん。流に沿ひて街※[#「木+越」、第3水準1−86−11]の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後《うしろ》に出で給はん。その寺今は「トルレ、ヂ、トレ、ポンテ」とて旅籠屋《はたごや》となりたり。目の暮れぬ内にテルラチナ[#「テルラチナ」に二重傍線]に着き給ふべしといひぬ。我は此人々に報《むくい》せんとおもふに、拿破里にて受取るべき爲換《かはせ》の外には、身に附けたるものなし。されど財布をこそ人にやりつれ、さきに兜兒《かくし》の裡《うち》に入れ置きし「スクヂイ」二つ猶在らば、人々に取らせんものをと、かい探ぐるにあらず。馬夫には領《えり》なる絹の紛※[#「巾+兌」、74−上段−18]《てふき》解きて與へ、牧者等と握手して、ひとり徑を下りゆきぬ。
大澤、地中海、忙しき旅人
世の人はポンチネ[#「ポンチネ」に二重傍線]の大澤《たいたく》(パルウヂ、ポンチネ)といふ名を聞きて、見わたす限りの曠野《あらの》に泥まじりの死水をたゝへたる間を、旅客の心細くもたどり行くらんやうにおもひ做《な》すなるべし。そはいたく違へり。その土地の豐腴《ほうゆ》なることは、北伊太利ロムバルヂア[#「ロムバルヂア」に二重傍線]に比べて猶優りたりとも謂ふべく、茂りあふ草は莖肥えて勢|旺《さかん》なり。廣く平なる街道ありてこれを横斷せり。(耶蘇《ヤソ》紀元前三百十二年アピウス・クラウヂウス[#「アピウス・クラウヂウス」に傍線]の築く所にして、今猶アピウス[#「アピウス」に傍線]街道の名あり。)車にて行かば坐席極めて妥《おだやか》なるべく、菩提樹の街※[#「木+越」、第3水準1−86−11]《なみき》は鬱蒼として日を遮り、人に暑さを忘れしむ。路傍は高萱《たかがや》と水草と、かはる/″\濃淡の緑を染め出せり。水は井字の溝洫《かうきよく》に溢れて、處々の澱《よど》みには、丈高き蘆葦《あし》、葉|闊《ひろ》き睡蓮《ひつじぐさ》(ニユムフエア)を長ず。羅馬の方より行けば左に山岳の空に聳《そび》ゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の間に亂點して、城郭かとあやまたる。左は海に向へる青野のあなたに、チルチエオ[#「チルチエオ」に二重傍線]の岬《みさき》(プロモントリオ、チルチエオ)の隆《たか》く起れるあり。こは今こそ陸つゞきになりたれ、古のキルケ[#「キルケ」に傍線]が島にして、オヂツセウス[#「オヂツセウス」に傍線]が舟の着きしはこゝなり。(ホメロス[#「ホメロス」に傍線]の詩に徴するに、トロヤ[#「トロヤ」に二重傍線]の戰果てゝ後、希臘《ギリシア》イタカ[#「イタカ」に二重傍線]王オヂツセウス[#「オヂツセウス」に傍線]この島に漂流せしに、妖婦キルケ[#「キルケ」に傍線]舟中の一行を變じて豕《ゐのこ》となす、オヂツセウス[#「オヂツセウス」に傍線]神傳の藥草にて其妖術を破りぬといふ。)
霧は歩むに從ひて散ぜり。晒《さら》せる布の如き溝渠《こうきよ》、緑なる氈《かも》の如き草原の上なる薄ぎぬは、次第に※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−
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