驍ネり。

   友誼と愛情と

 式終りてベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が許を訪ひぬ。手を握り襟《えり》を披《ひら》きて語るに、高興は能辯の母なるを知りぬ。けふ聞きつるアレエグリイ[#「アレエグリイ」に傍線](寺樂の作者)が曲、我が夢物語めきたる生涯、我と主人との友誼は我に十分なる談資を與へたり。けふの樂はいかに我憂を拂ひし。未だ聽かざりし時の我|疑懼《ぎく》、鬱悶、苦惱は幾何《いくばく》なりし。われは此等の事を殘なく物語りしが、唯だこれが因縁をなしゝものゝ主に我友なりしか、又はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なりしかをば論じ究めざりき。我が今友に對して展《の》べ開くことを敢てせざる心の襞《ひだ》はこれ一つのみなりき。友は打ち笑ひて、さて/\面倒なる男かな、カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の羊かひの頃よりボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の館に招かるゝまで、女子の手して育てられしさへあるに、「ジエスヰタ」派の學校に在りしなれば、斯くむづかしき性質にはなりしならん、切角《せつかく》の伊太利の熱血には山羊の乳を雜《ま》ぜられたり、「ラ、トラツプ」派の僧侶めきたる制欲は身を病ましめたり、馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝を喚《よ》び、夢幻境を出で現實界に入らしめざるこそ憾《うらみ》なれ、汝が心身の全く癒《い》えんは人なみになりたる上の事ぞといひぬ。われ。我等二人の性は懸隔すること餘りに甚し。然るを我は怪しきまで汝を愛せり。折々は共に棲まばやとさへ思ふことあり。友。そは啻《たゞ》に我等を温めざるのみならず、却りて何時ともなくこの交を絶つべし。友誼と戀情とは別離によりて長ず。我は時に夫婦の生活のいかに我を倦《う》ましむべきかを思へり。斷えず相見て互に心の底まで知りあはむ程興なき事はあらざるべし。さればおほかたの夫婦は幾《いくばく》もあらぬに厭《あ》き果つれども、名聞《みやうもん》を憚《はゞか》ると人よきとにて、其|縁《えにし》の絲は猶繋がれたるなり。我は思ふに、我情いかに一女子のために燃えんも、その女子の情いかに我に過ぎたらんも、その※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのほ》の相合ふ時は即ち相滅する時ならん。愛とは得んと欲する心なり。得んと欲する心は既に得て止むべし。われ。若し汝が妻アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の如く美しく又賢からむには奈何《いかん》。友。其薔薇花の美しき間は、わが愛づべきこと慥なり。されど色香一たび失せたらむ日には、われは我心のいかになり行くべきを知らず。汝はわが今何事を思ひしかを知るや。この念は忽ち生じ忽ち滅すれど、今始て生ぜるにはあらず。われは汝の血のいかに赤きかを見んと願ふことあらむも計られず。されどわれには智あり。汝は我友なり。わが潔白なる友なり。縱令《よしや》われ等二人同じ女に懸想《けさう》することあらんも、相鬪ふには至らざるべし。斯く言ひつゝ友は聲高く笑ひ、我首を抱きて戲れながらにいふやう。我に馴れたる小鳥ありて、その情はいと濃《こまや》かなれど、この頃は些《すこ》し濃かなるに過ぎて厭はしくなりぬ。思ふに汝には氣に入るべし。こよひ我と共に來よ。親友の間には隱すべきことなし。面白く一夜を遊び明さむ。さて日曜日にならば、法皇は我等が罪を洗ひ淨め給ふべきぞ。われ。否、我は共に往かざるべし。友。そは卑怯なり。汝は汝の血を傾け盡して、只だ山羊の乳のみを留めんとするか。汝が目は我目に等しく耀《かゞや》くことあり。われは嘗てこれを見き。汝が鬱悶、汝が苦惱、汝が懺悔《ざんげ》、是れ畢竟何物ぞ。われあからさまに言ふべきか。是れ得んと欲して得ざるところあるなり。その得ざるところのものは、赤き唇なり、軟なる膚なり。汝が假面の被《かぶ》りざま拙《つたな》ければ、われは明白に看破せり。いざ往いてその得んと欲する所のものを得よ。汝否といはゞ、そは卑怯なり、臆病なり。われ。止めよ。そは餘りなる詞なり。そは我を辱《はづかし》むる詞なり。友。されど汝はその辱《はづかしめ》を甘んじ受けざること能はざるべし。これを聞きしとき、我血は上りて頭を衝《つ》きしが、我涙も亦湧きて目に溢れたり。いかなれば汝はかくまでに無情なる。我は汝を愛し汝は我を弄ぜんとす。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と汝との間にわれ立てりと思へるにはあらずや。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の我を視ること汝より厚しとおもへるにはあらずや。友。否、決して然らず。わが空想家ならずして思遣《おもひやり》少きは汝も知りたらん。されど女の事をば姑《しばらく》く置け。唯だ心得がたきは、汝がいつも愛々といふことなり。我等二人は手を握りて友となりたり。その外には何も無し。我は汝と共に夸張《くわちやう》すること能はず。
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