なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群に雜《まじ》れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。
喝采の聲と花束の閃《ひらめき》は場《ぢやう》に上りたるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技《わざ》といへど、我はそを天賦の性《さが》とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀《しろかね》の鈴|齊《ひとし》く鳴りて、柔なる調子の變化|極《きはまり》なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲《みなぎ》り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になる條《くだり》あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中《なかんづく》姫が最低の「アルトオ」の聲を發し畢《をは》りて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリア[#「エトルリア」に二重傍線]の瓶《へい》の面なる舞者《まひこ》に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]がヂド[#「ヂド」に傍線]は妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には間《まゝ》何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜を頒《わか》てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、旨《うま》し/\と叫びて掌を拍《う》てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒《けうじ》の恣《ほしい》まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古《いにしへ》の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ[#「ギドオ・レニイ」に傍線](伊太利畫工)が仰塵畫《てんじやうゑ》の朝陽《あさひ》と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞《めぐ》りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ[#「ベアトリチエ・チエンチイ」に傍線](羅馬に刑死せし女の名)の少《わか》かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら/\しき雜音は愈※[#二の字点、1−2−22]高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し/\、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に翻《ひるがへ》りぬ。
即興詩の作りぞめ
この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、膽《きも》太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。
姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナ[#「ピアツツア、コロンナ」に二重傍線]に至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔《やはらか》さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴《つれ》のものは覺えず微《かすか》なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍《やど》り給へり。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、そ
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