tに繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手を欄《おばしま》にかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏《をさ》めおきぬ。
 ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は祭の王のよしなき戲を無禮《なめ》しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて筈《むちう》ち懲らさばやといひしを、樂長は餘《よ》のひと/″\と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑《をかし》き假粧舞《フエスチノ》の事、詩女《ムウザ》の導者たるアポルロン[#「アポルロン」に傍線]、古代の力士、圓鐵板《ヂスコス》投ぐる男の像等に肖《に》せたる假面の事など、次を逐《お》ひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語に與《あづか》らで、をり/\姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘《こだは》ることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがために毫《すこ》しも減ぜず。この穉《をさな》き振舞は却《かへ》りてあやしく我心に協《かな》ひき。姫は譯もなき戲言《ざれごと》をも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに※[#「金+表」、51−中段−7]《とけい》を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀《ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア》のうちなる役に中《あた》り居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。
 門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇|禁軍《このゑ》の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須《もち》ゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝も前《さき》に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且《また》戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等は頗《すこぶ》る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明《ぶんみやう》に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈《くつした》編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張《やはり》基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。
 この夕ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]と芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席を購《あがな》ふことを得き。いづれの棧敷《さじき》にも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためには渾《すべ》て夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、蓋《けだ》し今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆《はうし》なる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管《ひたすら》觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多《あまた》の俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る
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